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レオ10世

ラファエロ『レオ10世』
ラファエロ『レオ10世』部分
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16世紀のローマ教皇。メディチ家出身。贖宥状を発行し、ルターの宗教改革をもたらした。ルネサンスの保護者としても知られる。

 フィレンツェのメディチ家出身のローマ教皇。在位1513~1521年。ユリウス2世の着手したローマのサン=ピエトロ聖堂の改修費用を得るために、ドイツで贖宥状(免罪符)を発売した。それを批判したルター宗教改革を開始すると、レオ10世はルターを破門した。
 レオ10世はルネサンスの保護者として知られ、特にラファエロを後援したことで有名である。彼の時代にはサン=ピエトロ聖堂の改修はほとんど進まず、彼はもっぱら教皇の住む宮殿の増築に費用を充てたという。

ローマ教皇レオ10世

 レオ10世は、ルネサンスと宗教改革という、中世から近代への転換期に遭遇した、中世的権威の象徴であった。フィレンツェの実力者であったロレンツォ=ディ=メディチの次男であり、ピコ=デラ=ミランドラなど当代一流の人文主義者を家庭教師として高い教養を身につけ、フランス、ドイツ、オランダなどを広く旅し音楽や美術の成果を吸収した。しかし同時にメディチ家の一員として飽くなき権力欲と、貪欲な富への欲求を持ち続けた人物だった。
 1513年、教皇選挙会議(コンクラーベ)には持病の痔のために遅れてあらわれた。さらに会議が始まって6日目には膿傷を切開した。このとき対抗馬だった枢機卿リアリオに、自分は長いことは無いと告げた上で自分への票のとりまとめを頼んだ。リアリオは先の長くないこの男の次は自分だろうとそれに応じた。しかし何年かたってだまされたことに気づいたリアリオは、教皇の毒殺を企てたという。

Episode ローマ教皇の浪費癖

(引用)こうして37歳で教皇となったレオ10世は、聖ヨハネを祀るラテラーノ大聖堂への最初の行列に出たとき、その費用としてユリウス2世の遺産の四分の一近くを投じている。こうした浪費癖はレオ10世を象徴するものだが、彼自身はそのような行動になんの疑いも抱いていなかった。あるヴェネツィア人作家によると、彼はこんなことを言ったという。「神はわれわれに教皇職を与えられた。さあ楽しもうではないか」。しかし湯水のようにお金を使ったレオ10世は結局、深刻な財政難に見舞われた。そしてそれを聖物売買と汚職で解決しようとしているという宗教改革者たちからの激しい批判を受けることになる。枢機卿の帽子と贖宥状の販売は莫大な資金を生み出したが、レオ10世は個人的な道楽を追い求めたのみならず、芸術の庇護やサン=ピエトロ大聖堂の改築にお金を注ぎこみ、さらに何よりも巨額な出費の必要な戦争と新たな十字軍遠征に身を投じた。<マックスウェル=スチュアート/高橋正男監修『ローマ教皇歴代誌』1999 創元社 p.221>

イタリア戦争とオスマン帝国

 ここで戦争と言っているのは、フランス王フランソワ1世と、神聖ローマ皇帝(スペイン王でもある)カール5世のイタリアをめぐる戦争(イタリア戦争)に関わり、両者の間で策謀家ぶりを発揮したことである。1512年から召集されていた公会議で、レオ10世はオスマン帝国への十字軍の派遣を主張し、1517年3月にそのための特別税徴収を宣言した。

宗教改革への対応と死

 しかし、同年10月、ドイツでルター贖宥状の販売に疑問を投げかけて宗教改革が始まり、レオ10世はその対応に追われることとなった。1520年、レオ10世はルターを破門としたが、ルターは破門状を焼き捨て、神の聖堂に坐っているのは「アンチ・キリスト」であり「ローマ=カトリックの宮殿はサタン(悪魔)の教会堂となった」と非難した。
 1521年にはルターを重ねて破門し、イギリスのヘンリ8世が『七秘蹟論』を書いてルターを批判し、ローマ教会を支援すると、レオ10世はヘンリ8世に「信仰の擁護者」という称号を授けた。
 その年10月、病に倒れ、12月に死んだ。遺体が変色し膨張していたので毒殺ではないかと噂が立ったが、死因はマラリアだったらしい。<『ローマ教皇歴代誌』 p.224>

ルネサンスの庇護者として

 レオ10世は学問や芸術の保護には大きな業績を残した。特に厚い保護を受けたラファエロは教皇の肖像画を残し、ヴァチカン宮殿の多くの室内フレスコ画を手がけた。またミケランジェロのパトロンともなったが、ダ=ヴィンチを雇う機会はなかった。また各地からすぐれた音楽家をまねき、聖歌隊も活躍した。エラスムスは『校訂ギリシア語新約聖書』をレオ10世に献呈している。しかし、1521年にレオ10世が死去し、次の次の教皇となったクレメンス7世(メディチ家の出でレオ10世の従兄弟)の時、1527年にはカール5世のローマの劫略により、ローマのルネサンスは衰退が始まる。

ラファエロの描いたレオ10世の肖像画

 レオ10世の保護を受けたラファエロは、その肖像画を残している。よく観察すると、ラファエロのレオ10世への厳しい評価を見て取ることができる(右上の肖像画をクリックすると全画面のレオ10世像を見ることができます)。
・レオ10世に侍る二人はいずれも従兄弟で、左がジュリオ=デ=メディチ(後の教皇クレメンス7世)、右がルイジ=ド=ロッシ枢機卿。レオ10世は、臆面も無く身内を高位聖職者に取り立てていた。
・毛皮で縁取られた緞子とレース、身体とは不釣り合いな大きな頭、たるんだ頬と二重顎。これらは献身的な聖職者と言うより世俗の君主の肖像のように見える。<『ローマ教皇歴代誌』 p.7>
<画像は Web Gallery of ART による。>
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ノートの参照
8章2節 イ.文芸と美術
8章3節 ア.宗教改革
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マックスウエルースチュアート/高橋正男監修
『ローマ教皇歴代誌』
1999 創元社