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現在の紙の製造法の紀元は中国の後漢の蔡倫が改良したとされる。唐の時代に普及し、8世紀ごろ西方に伝播し、イスラーム圏を経てヨーロッパでルネサンス時代に大量につくられるようになった。

 紙の発明は中国の四大発明(紙、羅針盤火薬活字印刷の一つで、後漢の蔡倫(?~121)という宦官が発明改良したと言われている。中国では、麻、カジノキ、桑、藤などのほか、粗末な紙の原料として竹の繊維を使う竹紙が生産された。紙の発明以前は、絹織物や、木・竹を短冊状にした木簡、竹簡が使われていたが、絹は高価であり、木簡・竹簡はかさばるので使い勝手は悪かったので、安価で便利なものが求められていた。

蔡倫が発明したという製紙法

 蔡倫は初め、石臼の中に絹くずや木の皮や網の切れ端など植物性繊維を主にしたものを入れて水につけ、たたいでどろどろにした。それに適当な接着剤を加え、“すのこ”ですくいあげ、水を切って乾かすという方法で紙を作ることに成功した。この紙は「蔡侯紙」と言われて中国で広く作られるようになった。植物繊維の原料には各地であったものが用いられるようになり、7世紀ごろ中国から朝鮮をへて日本に伝わった紙は、コウゾとミツマタなど使われるようになったが、紙造りの原理そのものは、蔡倫の時からまったく変わっていない。<平田寬編著『歴史を動かした発明―小さな技術史事典』1983 岩波ジュニア新書 p.14-/藪内清『中国の科学文明』岩波新書など>

ペーパールート

 中国の絹がシルクロードで西方に伝えられたように、製紙法もいわばペーパールートによって西方に伝播していった。
 製紙法は唐の時代に一般に普及し、玄宗の時、751年に中央アジアに進出してきたイスラーム帝国のアッバース朝と戦ったタラス河畔の戦いで、唐の捕虜に製紙職人がいたことからまずイスラーム世界に伝えられた。8世紀後半にはサマルカンドで、ついで793年にバグダードで、900年頃にはカイロ、1100年頃には現在のモロッコのフェス、1150年にはスペインのハティバに製紙工場が作られている。十字軍によって13世紀後半までにイタリアでまず製糸業が盛んになり、さらにフランス・ドイツにひろがり、ルンセサンス時代の15~16世紀にはヨーロッパのほとんどの国に製紙工場が作られた。<平田『同上書』p.14-15> → 詳しくは製紙法の項を参照。

ヨーロッパの製紙業

 西方では、古くはバビロニアの楔形文字は粘土版に書かれ、エジプトでは象形文字がナイル川に群生するパピルス草(paper の語源となった)を材料にした紙に書かれていた。パピスル製の紙はギリシア・ローマ時代を経て、中世ヨーロッパまで使われていた。ローマ時代以降はヒツジやヤギ、子ウシの皮から作るパーチメント(皮紙、羊皮紙)も使われていた。
 中国から製紙法が伝わり、ルネサンス時代に広く使われるようになってからは、材料として初めは主にアマ布や木綿のぼろきれであったが、それだけでは需要に追いつけず、もっと広範囲な植物繊維が用いられるようになった。繊維をときほぐす精巧な粉砕機が発明され、動力として風力や水力が使われた。
 15世紀に活版印刷術があらわれると紙の需要が一層増大し、印刷に適した紙質ももとめられるようになった。17世紀にオランダで、紙の原料の繊維をあまり鋭利でない鉄の刃ですりつぶす方法が発明され、紙の大量生産が実現した。<平田『同上書』p.16>

産業革命と製紙業

 紙の生産量と紙質の向上を飛躍的にもたらしたのは、産業革命を経過した18世紀の後半、新聞や雑誌の発行が増えたためであった。19世紀にはそれまで一枚ずつ漉いていたものを、フランス人が連続巻き取り式の製紙機械を開発、また原料には木材をすりつぶしてつくるパルプが用いられるようになった。さらに木材の繊維をソーダでとかしたソーダパルプや白い紙を作るための亜硫酸パルプも開発され、膨大な量の紙が消費されるようになった。
 しかし紙の浪費が進んだ20世紀後半には、紙の生産のために大量の森林が伐採されていることが問題になってきた。森林の地球規模での現象は地球温暖化の最大の要因とされている。現在では再生紙の利用、ペーパーレスの促進など、紙をめぐる環境は大きく変化していると言える。<平田『同上書』p.16-17>

Episode アメリカ独立宣言が印刷された紙

 1776年のアメリカ独立宣言が印刷されたのはアサの紙だった。アサ(麻)は葉を乾燥させてると麻薬の大麻がとれるので現在は自由に栽培することはできないが、実は人類が最も古くから栽培している植物で、その葉茎からとる繊維は昔から麻織物(つまり麻布)や麻縄(ロープ)、麻袋などの原料として使われていた。日本の神事などではいまでも麻縄を使用している。また麻は紙の原料でもあり、パルプ材として樹木が伐採されていくと、代わりに麻紙が使われるようになった。特にイギリスの植民地だったアメリカでは紙の原料の木材パルプをイギリスから輸入していたので、独立気運が高まると、木材パルプではなく麻を原料にする気運が高まった。独立運動の指導者で後の初代大統領ワシントンと、独立宣言の起草者ジェファソンは共に麻のプランテーションを経営していた。またフランクリンは自社の印刷工場で麻の紙を作っていた。そこでアメリカ独立宣言が印刷された紙は麻の紙だったことはまずまちがいない。<ビル・ローズ/柴田譲治訳『図説世界史を変えた50の植物』p.34-37>
 現在ではアサ紙の占める割合はごくわずかになっており、マリファナの原料として危険視されるようになったため大麻栽培は禁止されている。  
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ノートの参照
第2章3節 ク.漢代の社会と文化
書籍案内

平田寬編著
『歴史を動かした発明
――小さな技術史事典』
1983 岩波ジュニア新書

ビル・ローズ/柴田譲治訳
『世界史を変えた50の植物』
2012 原書房