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ウィルバーフォース

19世紀初頭、イギリスの奴隷貿易禁止、奴隷制度廃止の実現に活躍した政治家、宗教家。

 イギリスの貴族の出身で、キリスト教の福音主義運動(教会によらず、個人の宗教的改心を重視する新教徒)の影響を受け、人道的な立場から黒人奴隷貿易の禁止を主張するようになった。有力政治家のピットに働きかけ、1807年に奴隷貿易禁止法を、さらに1833年にはイギリス帝国全域の奴隷制度廃止の制定を実現させた。

奴隷貿易禁止の運動

ウィルバーフォース
William Wilberforth 1759-1833
(BRITAIN'S STORY Told in Picture p.60)
 ウィルバーフォースは14歳でケンブリッジ大学に入り、神童といわれた。8歳の時に資産家の父を亡くし、叔母に預けられたが、その叔母が社会事業家・宗教家として有名なソーントン家の縁者であったところから、国教会の中の福音主義の影響を強く受けることとなった。21歳で下院議員に選出され、ロンドンの五つの会員制高級クラブに出入りし、新聞や雑誌に取り上げられた時代の寵児だったが、自分では宗教家になるか、政治の道に進むかまだ迷っていた。そんなとき、ジョン=ニュートンという牧師に会い、自分の進むべき途を相談した。牧師はかつて奴隷貿易船の船長であったが、その過去を悔い、信仰の道に入ったという人だった。ニュートンから黒人奴隷貿易の悲惨な状態、非人道的な黒人の扱いを話し、政治の道を勧める。ウィルバーフォースは、政治家として生きることを決意し、奴隷貿易の実態調査を開始した。その周辺には熱心な奴隷貿易反対論者や解放奴隷として自分の体験を本にした黒人、熱心なクウェーカー教徒などが集まってきた。彼自身はトーリ党員であり、その若き指導者ピットとも友人だった。1787年に奴隷貿易廃止協会が設立されるとウィルバーフォースが参加し、ジョン=ニュートンが相談役となった。彼はピットの力を借りて、政府への働きかけと議会活動を開始、毎年のように奴隷貿易禁止法案を議会に提出した。

奴隷貿易禁止反対派とは

 三角貿易の一部である奴隷貿易はイギリスに多くの富をもたらし、また当時普及した紅茶には砂糖が欠かせないものになっており、それはイギリス領のジャマイカなどの西インド諸島で生産されていたので、多くのイギリス人は奴隷貿易を肯定するか、無関心であった。しかし、18世紀後半になると、奴隷貿易の中間航路における非人道的な実態が知られるようになり、奴隷貿易を批判する人々が現れた。ウィルバーフォースがその一人であった。ウィルバーフォースとその仲間は一部のキリスト教狂信者か、フランスの回し者と疑われ、全くの少数であったため、毎回法案は否決され続けた。議会内にはトーリ党・ホイッグ党の両党に西インド諸島の砂糖プランテーションの所有者や出資者やリヴァプールの富裕な商人代表が多かったのだ。またリヴァプールからは奴隷貿易廃止反対の請願署名も出された。

ウィルバーフォースの議会活動

 1789年にはウィルバーフォースはさまざまな証拠をそろえ、下院で三時間に及ぶ演説を行った。また議員をテムズ川の川下りに招待して奴隷貿易に使われた船を実際に見せたり、あらゆる手を使って訴えた。その効があり1792年に下院は奴隷貿易の漸減的廃止案を可決したが、上院で否決されてしまった。それはフランス革命が起こり、奴隷への同情はジャコバン派に通じ、貴族政や王政を危うくするものではないかと疑われたためであった。かつての協力者ピットも、フランス革命には強く反対していたので、ウィルバーフォースとも対立するようになった。反対派は議員買収をして法案つぶしにかかった。
 ウィルバーフォースの努力も無駄になるかと思われたが、フランス領ハイチの独立以来、西インド諸島では奴隷反乱が相次ぐようになっていた。またフランスと交戦状態が続く中、フランス船が中立国アメリカの国旗を掲げて貿易を続けていることから、イギリスはアメリカ国旗を掲げる船を拿捕することを決定したが、イギリスの奴隷貿易船もアメリカの国旗を掲げて私掠船やフランス船から逃れていたものが多かったので、この措置は奴隷貿易に大きな打撃となった。こうして奴隷貿易時代のうまみが無くなる中、ついに1807年、イギリス議会はウィルバーフォース提案のイギリス帝国すべてにおける奴隷貿易禁止法を可決した。<以上、ジョン・ニュートン/中澤幸夫編訳『アメイジング・グレース物語』彩流社 p.26,228-229>

奴隷制度廃止法の成立

 奴隷貿易は禁止となっても、西インド諸島での砂糖プランテーションでは、奴隷制度が続いていた。新たな奴隷の供給が止まっても、奴隷に子供を産ませてそれを奴隷にするという事が続いていた。ウィルバーフォースはそのような奴隷制度そのもの廃止運動に向かい、1830年代の一連の自由主義改革が実現される中、1833年にイギリス帝国内の奴隷制度廃止法が成立した。その前年に選挙法改正(第1回)が行われ、新たな有権者となった都市のブルジョワ票はトーリ、ホイッグにまたがる奴隷制廃止派に投票し、旧勢力の奴隷制擁護派の多くは落選した結果であった。

Episode アメージング・グレース物語

 ゴスペル歌手マハリア=ジャクソンの歌ったアメージング・グレースは日本でも本田美奈子のカバーでよく知られた歌だ。昔、TVドラマの「白い巨塔」でもテーマ曲として用いられた。この歌を作詞したジョン=ニュートン(1725~1807)はウィルバーフォースの協力者で、若いころは奴隷貿易船の船長として三角貿易に従事し、それを悔いるようになった人生の後半を信仰にささげ、教会の牧師となった人物であった。かれは議会に対する奴隷貿易反対運動の資料として『奴隷貿易についての考察』を著した。幸いなことに、この著は、ジョン=ニュートンの遺した自伝とともに、『アメイジング・グレース物語』中澤幸夫訳 彩流社(2006)として出版されているので、詳しく知ることができる。生々しい黒人奴隷の惨状については“中間航路”の項に一部を引用した。
 また2006年のイギリス映画『アメイジング・グレイス』(2011年日本で公開)はウィルバーフォースを主人公とした映画で、そのジョン=ニュートンとの邂逅、奴隷貿易反対運動での体験、その硬軟さまざまな議会対策、青年宰相ピットとの友情などが詳しく描かれている。なんといっても奴隷貿易禁止法案が可決されるまでの議会でのかけひきが、19世紀初頭の議場、議員の服装そのままに描かれており興味深い。ウィルバーフォースをヨアン=グリフィス、ピットをベネディクト=カンバーバッチ、ジョン=ニュートンを名優アルバート=フィニーが演じている。なお、映画ではウィルバーフォースが『アメイジング・グレイス』を歌う場面が何度か出てくるが、前掲書によると、このメロディーが生まれたのは1820~30年ごろ、アメリカにおいてだったらしく、チョット事実とは食いちがっている。
 YouTube 本田美奈子 アメイジング・グレイス
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ノートの参照
第12章1節 ウ.七月革命とイギリスの諸改革
書籍案内

ジョン・ニュートン/中澤幸夫編訳
『アメージング・グレース物語』
2006 彩流社
DVD案内

マイケル・アプテッド監督
『アメイジング・グレイス』
2006 イギリス