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公正なる仲介人

1870~80年代、ドイツ帝国の外交政策を推進したビスマルクのこと。

ドイツ語では、Die Rolle des ehrlichen Maklers といい、公正は誠実なとも訳され、仲介人は仲買人とかブローカーとも訳される。ビスマルクはドイツ帝国の地位の安定にはフランスを孤立させておくことが最大の眼目と考え、そのためにはロシア、オーストリア=ハンガリーという大陸の大国との関係を重視した。ロシア帝国とオーストリア=ハンガリー帝国は東方問題といわれるバルカン半島での厳しい対立関係にあったが、ビスマルクはその両者が戦っていずれかが勝つことはヨーロッパ強国のバランスを壊し、ひいてはドイツの安定の脅威となると考え、その両国の対立を回避すべく調停外交を展開した。特に露土戦争(ロシア=トルコ戦争)後の1878年に開催されたベルリン会議では、同じくロシアのバルカン侵出に脅威を感じているイギリスとの調停を行い、ロシアにサン=ステファノ条約を破棄させ、ベルリン条約を締結することに成功した。また1984~85年にはアフリカにおけるヨーロッパ諸国の対立を調停してアフリカに関するベルリン会議を主催した。

ビスマルク仲介の結果

 ベルリン会議において、ビスマルクは「公正なる仲介人」と称して、公平な裁定を行うと宣言したが、現実にはロシアの進出を抑え、イギリス・オーストリアの要求を大幅に認めたものであった。特にイギリスがキプロス島に進出し、オーストリアがバルカンの一角であるボスニア=ヘルツェゴヴィナの行政権を認められたことはロシアおよびスラブ国家であるセルビアにとって大きな不満であった。その結果、ロシアはドイツとの友好関係に冷淡となり、フランスに接近する結果となった。ベルリン会議の結果は、ロシアとフランスを接近させるという、ドイツにとって最も避けなければならない状勢を造り出したと言える。
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ノートの参照
第12章2節 キ.ドイツ帝国とビスマルク外交