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支那事変

1937年7月7日、盧溝橋事件から始まった日中戦争を当時の日本は支那事変と称した。

 1937年7月の盧溝橋事件から始まった日本軍と中国軍の衝突。7月段階では衝突は北京付近のみだったので、北支事変と言われたが、8月に上海でも武力衝突が起きる(第2次上海事変)と、支那事変(支那とはチャイナの日本語表記。戦前の日本では中国を一般に支那といった。現在は使用しない)と正式に命名された。一般では日華事変とも言われた。「事変」は、国際法上の正式な「戦争」ではないという意味を込めているが、事実上の日中戦争の開始であった。なお、正式に日本が中国に宣戦布告するのは太平洋戦争に転換してからである。(日本政府は「大東亜戦争」と命名した。)

なぜ「事変」とされたか

 盧溝橋事件から始まる日中の衝突は事実上の戦争であったが、日本は宣戦布告をせず、国際法上の戦争ではなく、自衛のためやむなく行った局地的軍事行動であるという意味で「支那事変」と称した。通常の戦争の開始を示す最後通牒や宣戦布告は行われていない。なぜ、「宣戦布告無き戦争」となったか、政府・軍の意図を総合すると次のような理由が考えられる。
不戦条約(1928年)に違反することで国際的に非難されることをさけるため(日本も調印していた)。
・アメリカの中立法(1935年制定)は、交戦中の国は武器を輸出しないことを定めていたので、正式な交戦中となるとアメリカから武器輸入が出来なくなること。(まだアメリカとは武器だけでなく大きな貿易相手国だった)
 また、当時の広田弘毅外相は、日本の軍事行動の目的は、「反日的な蔣介石政権、軍閥勢力を排除することであり、支那民族を敵として戦うことではない」と言う意味の声明を出した。しかし事実上の全面戦争として展開されていく。<北博昭『日中開戦』1994 中公新書>
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ノートの参照
第15章4節 ウ.満州事変・日中戦争と中国の抵抗
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北博昭
『日中開戦』
1994 中公新書
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