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大躍進

1958年からの第2次五カ年計画。ソ連に依存しない工業化を図る。

 1958年5月、中華人民共和国において、毛沢東の指導する中国共産党が打ち出した「社会主義建設の総路線」のことで、第2次五ヶ年計画にあたる。それはソ連型の社会主義建設ではなく、中国独自の方法として工業では西洋技術と「土法」(伝統技術)を併用することと、農業では集団化を進めた人民公社を建設することを掲げた。工業では鉄鋼業生産が特徴的であったが、品質は軽視され、もっぱら増産のみが強調された。

「大躍進」運動の失敗

 1959年から61年にかけて、中国全土は異常な食糧難に陥り、その死者数は1600万から2700万であろうという。これは、「まだ生産力の基盤が弱い中国の現実の諸条件を無視した大躍進の諸政策、とくに重工業優先政策と、農村における「共産風」や、幹部の押しつけへの抵抗として生じた農民の生産意欲の減退という人災を基本として、これに59年から61年までつづいた自然災害(華北の旱害と華中・華南の水害)、ならびにソ連の援助打ち切りが重なって生じたものである。」<小島晋治・丸山松幸『中国近現代史』1986 岩波新書>
 1959年に開催された中国共産党の首脳会議である廬山会議では、幹部の一人彭徳懐が大躍進の失敗を批判し、毛沢東の誤りを指摘した。毛沢東は責任をとる形で国家主席の地位は退いたが、党主席には座り続け、次第に権力奪回の機会をうかがう。
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ノートの参照
第16章3節 ウ.動揺する中国