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ソグディアナ

中央アジアでソグド人が活動した一帯。後の西トルキスタン。現在はほぼウズベキスタンに属している。

 アラル海に注ぐ大河、アム川とシル川にはさまれた地方で、サマルカンドを中心とする一帯。現在はおよそウズベキスタン共和国にあたる。その住民がイラン系のソグド人で、古くからソグド商人といわれて東西交易に活躍していた。前4世紀の末にはアレクサンドロス大王がこの地まで遠征し、交易ルートを押さえるとともにギリシア人を入植させ、その帝国の崩壊後は、ギリシア系の人々はバクトリアを建国した。その後は大月氏国、クシャーナ朝、ササン朝、エフタル、突厥などの国々が興亡した。この地は中国にも知られ、「粟特」と表記されている。8世紀にトルコ系ウイグルの勢力が及んでからは次第にトルコ化し、西トルキスタンと言われるようになる。

ソグド人の土地

(引用)ソグディアナはたまたまユーラシアのど真ん中に位置し、東の中国、東南のインド、西南のペルシア~地中海周辺東部地域、西北のロシア~東ヨーロッパ、東北のセミレチェ~ジュンガリア~モンゴリアへと通じる天然の交通路たるシルク=ロード網の心臓部を占めていたから、 ソグド商人が、国際的なシルクロード商人へと発展していくのは、いわば必然であった。ソグド人コロニーは、草原の道沿いで西は黒海方面に達し、東はタラス河以東イリ河流域に至るセミレチェのみならず、さらにその東のジュンガリアからモンゴリア・満洲へも、そしてオアシスの道沿いには東トルキスタンのクチャ・コータン・トゥルファン・ロプノール地方から河西回廊の沙州(敦煌)、涼州(武威、姑臧)に、さらに北中国のほとんどの大都市にまで存在したのである。<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』2007初刊 2016 講談社学術文庫 p.99-100>

ソグディアナのイスラーム化

 7世紀にササン朝を滅ぼしてたイスラーム勢力は、8世紀初めのウマイヤ朝のカリフアブド=アルマリクの時、アム川を超えてソグディアナにも進出してきた。さらに751年、アッバース朝は唐軍とタラス河の戦いで戦って勝利し、この地のトルコ人のイスラーム化が進んだ。アラブ人はこの地をアラビア語でマー=ワラー=アンナフル(川向こうの土地、の意味)と言うようになった。その後イラン系のサーマーン朝、トルコ系のカラ=ハン朝、セルジューク朝、ホラズムが興亡し、1220年にチンギス=ハンに征服され、チャガタイ=ハン国が成立、その東西分裂後、1370年にはティムールがサマルカンドを都に帝国を建設した。ティムール朝はトルコ系ウズベク人に滅ぼされ、16世紀以降はブハラを都とするブハラ=ハン国など、ウズベク人のイスラーム国家が分立する。近代にはいるとロシアの南下政策によって侵略され、ロシア領、ソ連領となり、現在ではほぼその地域はウズベキスタン共和国として独立した。