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マー=ワラー=アンナフル

古代にはソグド人の活動地域だったのでソグディアナといわれた地域で、イスラーム教徒がアム川以北の地を「川の向こうの土地」の意味でこう呼んだ。

 アラビア語で「川の向こうの土地」を意味する。マーワラーン=ナフル、とも表記する。パミール高原を源として西流し、アラル海に注ぐアム川(アムダリア川)以北の、中央アジアのパミール高原の西側一帯の西トルキスタン、現在ではほぼウズベキスタンの国土にあたる。アム川はギリシア・ローマ人にも知られた大河で、オクサス川と言われたので、その向こう側という意味でトランス=オクサニアと言われていた。

ソグド人の活動

 このあたりは砂漠の中にオアシス都市が点々とし、イラン系のソグド人ブハラサマルカンドを中心に、シルクロードの交易路を舞台とした商業活動を行っていた、ソグディアナの地である。

イスラーム教徒の進出

 アラビアの砂漠から来てこの地を征服したアラブ人が、豊かなオアシス地帯を見て、あこがれをこめて「川の向こうの土地」と呼んだ。8世紀の初め、ウマイヤ朝のカリフ、アブド=アルマリクの時、イスラーム軍が、アム川を超えて中央アジアに侵出し、この豊かな地を手に入れた。アッバース朝では中央アジアの覇権をめぐって、この地の北東に位置するタラス河畔の戦いで唐軍を破り、中央アジアのイスラーム化を進めた。

トルコ化の進行

 並行してイスラーム化したトルコ系民族の移住定住によって、いわゆる中央アジアのトルコ化が進む。この地はその後、イラン系のサーマーン朝、トルコ系のカラ=ハン朝セルジューク朝ホラズム朝が興亡した。

チンギスハンの征服

 1220年にチンギス=ハンの率いるモンゴル軍に征服され、サマルカンドなどの都市が破壊された。中央アジア一帯はマー=ワラー=アンナフルを中心にモンゴル帝国の一部のチャガタイ=ハン国(ウルス)とされたが、モンゴル諸勢力の抗争が続き、一時は元に反旗を翻したハイドゥの乱の拠点となった。乱終結後チャガタイ家の当主が復活し、チャガタイ=ハン国が再びこの地を支配することになったが、14世紀には東西に分裂して衰退した。

ティムールの登場

 1370年に西チャガタイ=ハン国の臣下であったティムールが登場して、この地にティムール帝国を建設したことによって、この地は復興し、都サマルカンドは中央アジアの交易の中心地として繁栄を取り戻した。ティムールはこの地の繁栄を取り戻した人物として、現在のウズベキスタンにおいても英雄として扱われている。

ロシア勢力の南下

 ティムール帝国後はウズベク人のシャイバニ朝が成立したが、16世紀には大航海時代となって中央アジアの内陸交易路が衰えたため、ブハラ=ハン国などのウズベク系三国の支配の下で停滞し、18世紀以降はロシアの南下政策によって脅かされるようになり、ロシア人の入植も進み、ロシア化していった。

中央アジアの五ヵ国

 ロシア革命の善後には社会主義に同調しながら民族の独立を目ざす運動も盛んであったが、それらの民族主義は社会主義建設には有害であるとして排除され、ソヴィエト政権が支配するカザフトルクメンウズベクキルギスタジクの5共和国が作られ、ソヴィエト社会主義共和国連邦を構成した。これらの共和国は、1991年にソ連邦崩壊に伴い主権国家として独立し、独立国家共同体(CIS)に加盟した。
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