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上院/貴族院

イギリス議会では公選の下院(庶民院)に対し、非公選の貴族を構成員とする議会。アメリカの二院制での上院は州代表で構成される。国によってその性格が異なるが、優越権を持つ下院に対して上院がその行き過ぎをチェックする機能を持っている場合が多い。日本では戦前の貴族院、戦後の参議院に該当する。

 現代の各国の議会制度には一院制と二院制(両院制)があり、二院制は国民の多様な階層や意見の違いを幅広く国政に反映させるために採用され、上院は主要議会である下院(庶民院、衆議院)の独走をチェックする機能を持っている場合が多い。二院制議会制度が早く成立したイギリスにおいては、中世の身分制議会を継承して貴族院とも言われ、日本においても戦前には貴族院が存在した。アメリカの場合の上院は身分代表ではなく、州の代表という位置づけになっている。このようにその成立事情、性格、権限、選挙法には各国によって異なっている。

イギリス議会の上院(貴族院)

 イギリス議会制度の中では、中世の身分制議会を継承し、当初は大貴族と高位聖職者からなる貴族院(House of Lords)として下院(庶民院)から請願された立法案を審議し、国王と共に決定する権限をもつ機関として、1330年代に分離成立した。上院議員は国王が直接指名していた。14世紀の議会では上院が圧倒的な力を持ち、下院は上院に請願するだけであったが、下院議員が納税者の主体となっていくに従って両者の力関係は次第に逆転していった。特に15世紀のバラ戦争で貴族階級が没落したことによって、上院は力を失い、テューダー朝ではジェントリーからなる下院が王権を支えていた。
ピューリタン革命で一時廃止 ステュアート朝の絶対王政で国王と議会が対立するようになると、国王は上院に依存して下院を抑えようとした。上院は王政と密接に関係していたので、ピューリタン革命が起こり、国王チャールズ1世が処刑され王政が廃止され共和政が成立した1649年、上院(貴族院)は「無益、かつ危険なもの(needless and dangerous)」として廃止された。しかし、クロムウェルの独裁を経て王政復古となると共に1660年、復活した。
下院との対立深まる 復活した上院(貴族院)は、従来どおり選挙制ではなく世襲貴族が終身議員として構成していた。18から19世紀にかけて、国王によって盛んに叙爵(爵位を与えて貴族にすること)が行われ、上院議席も急増した。王権に妥協的な保守党がその基盤であり、下院で多数を占める自由党としばしば対立するようになった。
下院の選挙改正 下院では、産業革命で台頭したブルジョワジーによる選挙権獲得運動が強まると、上院は強く反対した。しかし、ホイッグ党のグレイ内閣は、反対派を抑えるために新貴族を創設することを国王に認めさせて上院に送り込み、上院で議案を通過させ、1832年の第1回選挙法改正を実現させた。これによって下院には産業ブルジョワジー代表が加わることになり、下院との性格の違いはさらに広がった。その後も産業革命の進行に伴って下院の選挙権は拡大され、労働者階級も参政権が与えられていくが、上院はことごとく下院決議に反対して国政が停滞する状態が続いた。
上院の抵抗による政治の停滞 1893年、自由党のグラッドストン内閣は自由主義的政策を推進、第2次アイルランド自治法案を議会に提出した。内閣の自由主義改革にことごとく反対していた上院は、それを否決した。こうして改革が停滞すると、国民の多くは上院は国民の意思を抑圧する存在であると感じとり、上院は「廃止か改造か(to end or to mend)」のいずれかである、と叫ばれるようになった。
1911年の議会法による上院改革 自由党のアスキス内閣の蔵相ロイド=ジョージは、ドイツのヴィルヘルム2世との海軍軍拡競争(建艦競争)の財源確保のため、富裕層への課税案を議会に提出した。それに対して上院が抵抗すると、議会法を成立させた。それには上院に関して次の2点が定められt。
  1. 予算など金銭法案は、下院で可決されれば上院には否決、修正する権限がない。
  2. 上院の法案審議の延長期間を2カ年に限定し、下院を三期連続して通過した法律案は上院の同意なくとも法律となる。
 これによって二院制のもとでの下院の優先の原則を打ち立てられ、現在の日本の二院制でも衆議院の優越の原則が援用されている。

下院優先の原則の下での上院(貴族院)

 イギリスの議会政治は国王・上院(貴族院)・下院(庶民院)の三要素から構成されていたが、議院内閣制の始まりと共に下院の重要性が増し、さらに19世紀になると選挙権の拡大によって政治の民主化が進むと、着実にその権威を高め、実質的に主権を担う存在となっていった。他方、下院(貴族院)は徐々に権威を縮小させていった。1832年の選挙法改正にも上院は反対したが、国王が首相の助言に従って賛成派の上院議員を任命(上院議員は選挙で選出されるのではなく国王が任命)して政府案を通そうとしたので、最終的には改革に同意せざるを得なかった。1909年にロイド=ジョージ蔵相が「人民予算」を要求したときも、相続税や土地課税が増やされそうになったので上院は強硬に反対したが、アスキス内閣の元で1911年に議会法が制定され、上院の権限は大幅に制限された。
 こうして君主は、総選挙で有権者の選出した下院議員の支持する者を首相に任命するしかなくなり、上院から首相が選ばれることは、1902年まで務めたソールズベリを最後にいなくなった。首相候補に長当たった上院議員もいたが、国王に任命された上院議員では、選挙で選ばれて民主的正当性を持つ下院では答弁できないことから、デモクラシーの時代には不適切とされたのだった。<高安健将『議院内閣制―変貌する英国モデル』2018 中公新書 p.7-9>

現在のイギリス上院

 現在もイギリス上院の議員は選挙ではなく(非公選制)、つまり任命制であり、貴族身分の者が議員となり、しかも終身である。かつては世襲議員が大部分であったが、さすがに1999年にブレア労働党政権の元で貴族院法が成立して世襲貴族の定数は92人に制限(世襲貴族の中で互選された者が国王に任命される)され、他のほとんどは有識者や功労者が一代限りで貴族と認定された“一代貴族”議員である。一代貴族議員には定数がなく、2013年には648議席である。その他に、国教会の大主教ら高位聖職者は聖職貴族として上院議員(定数26)となる。またイギリスの上院は最高裁判所を兼ね、違憲立法審査権に相当する権能を有していたが、それも2009年に停止され、別に連合王国最高裁判所が設置された。
世界で最も遅れている議会 このようにみてくると、現在のイギリス上院は一代貴族議員が大多数なので貴族階級の代表でもなく、かといって選挙で選ばれるのではないので国民の代表とも言えず、単に中世の身分制議会の形骸だけが尾てい骨、あるいは盲腸のように残っているに過ぎない。そのため上院に対する風当たりは依然として強く、2012年には保守党・自由民主党連立のキャメロン政権は上院の公選制を提案しようとした。しかし、反対も多く、まだ日の目を見ていない。議会政治の先進国イギリスで、世界で最も遅れてしまっている部分と言うことができる。

その他の国の上院

 イギリスの貴族身分を代表した上院と同様の性格を有するのが、戦前の日本の大日本帝国憲法の下での貴族院であった。それに対して、アメリカ合衆国憲法の上院、1871年に制定されたドイツ帝国憲法の連邦参議院は、連邦国家における連邦代表という明確な違いがある。
日本の貴族院・参議院 日本の貴族院は、皇族・華族と勅選議員・多額納税者・帝国学士院議員の五種類の議員で構成されていた。大正デモクラシー以降に衆議院で普通選挙が実現していくと、貴族院は政党政治を掣肘する特権階級の牙城となった。戦後の日本国憲法で廃止され、新たに参議院が生まれた。参議院は6年任期の公選の議員で構成され解散がないことから、衆議院の暴走をチェックし、政治の安定を図ることが期待されて設置された。しかし現状はミニ衆議院と化しており、充分本来の機能を発揮しているとは言えない。
アメリカの上院 アメリカ合衆国憲法のもとで下院と共に二院制の連邦議会を構成する上院(Senate)は、イギリスの上院、日本の参議院ともかなり違う性格を持っている。アメリカの上院は、下院議員が人口比に従って区分けされた選挙区から選出されるのに対し、各州2名ずつ選挙された議員で構成される。現在は50州なので、州の大小には関係なく定員は100人ということになる。任期は6年、3分の1の議員が2年ごとに解散される。任期が長い(下院は2年)こと、議員数が少ないことからその権威は高い(Senate はローマの元老院を意味する)ので、アメリカ大統領は上院議員経験者であることが多い。また上院は下院と対等の立法権をもち、条約や官吏の任免に承認権を持っている。つまりアメリカの上院はアメリカが連邦主義による州(States=国)の連合体という連邦制国家であることのに根拠を置いており、単なる下院(代議院 House of Representatives)のチェック機構ではなく、対等な立場に立つ完全な二院制(両院制)であるといえる。
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