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スラ

前2~1世紀、貴族出身で軍人として活動し、閥族派の代表的人物として平民派のマリウスと激しく争った。前82年に独裁官となり、権力を独占した。

 スラ Lucius Cornelius Sulla Felix スッラ、スラなどとも表記する。貧乏ではあったが貴族(パトリキ)の家に生まれ、若い頃は無頼生活を送ったという。ユグルタ戦争イタリア同盟市戦争マリウスの副官となり勲功をたてる。その後、マリウスと対立、閥族派(保守派)の中心人物と目されるようになり、前88年全権を委任されて小アジアのミトリダテス戦争鎮圧に向かう。スラのいなくなったローマでは平民派がクーデターを起こし、マリウスもアフリカから戻り閥族派を一掃した。しかし、これによって内乱の1世紀の混迷は更に深まることとなった。
 マリウスが前86年に死ぬと、小アジアから戻ったスラが勢力を盛り返し、前82年にはローマ最初の無期限の独裁官(ディクタトル)となり、敵対者をリストにある人物は誰が殺してもいいという「処罰者リスト」に載せ、前81年までに平民派を一掃、ローマをグラックス兄弟の改革以前の貴族支配に戻した。

スラによる元老院の復権

 東方でのミトリダテス戦争での目覚ましい成果をあげたスラは、凱旋将軍として、莫大な富をたずさえてローマに戻り、マリウスの遺児小マリウスらの平民派政権を武力で追い出し、元老院を中心とする閥族派の統治体制を再建した。「しかし、共和政の頂点に立つ執政官スラが、兵を率いてローマに攻め入るという、ローマの歴史にかつてない暴挙は、ローマ共和政の実質的な崩壊を意味していた。」<青柳正規『皇帝たちの都ローマ』1992 中公新書 p.28-31>
 平民派(民衆派)の中核である騎士階級は、グラックス兄弟の改革によって法廷での審判人となる権利を獲得していたが、スラによってその権利は剥奪され、審判人は元老院議員だけがなることにこどされた。また、平民会決議は元老院の承認なくしては有効にならず、民会の最高位者である護民官も、その職に就くと他の一切の職につけなくなった。こうして支配体制から平民派は排除された。
 元老院の重要性が増大したため、スラはその議員数をそれまでの300人から600人に増員した。そのため、新しい元老院議事堂を建設した(その遺構は現在、教会堂の下になっているため発掘が出来ない)。同時に隣接した民会の議場(コミティウムといわれる円形議場)の改造も実行、こちらは従来あった共和政の伝統を示す彫刻やモニュメントを撤去してしまった。

参考 プルタルコスの伝えるスラ

(引用)スラの体については、大体の格好は彫像に示されているが、目玉の灰色は非常に鮮明で、しかも顔色のために一段と見るも恐ろしいくらいに引き立っていた。顔色は眼ざわりな赤みがおおい、それに白みがまばらに入りまじっていた。ちなみに彼の名字(スラ)も、顔色によるあだ名から出たものであるといわれている。そこでアテナイの弥次馬の中には、このことで詩を作って、「スラはひきわり麦をふりかけた桑の実だ」とあざけったものがいた。<プルタルコス/高橋秀訳『プルタルコス英雄伝』中 ちくま学芸文庫 p.372>

マリウスとの抗争

 前88年から、ローマを離れてミトリダテス戦争に遠征、小アジアのポントス王ミトリダテスと結んだアテネを攻撃し、市内で殺戮、掠奪を行った。ローマでマリウス平民派がクーデターを敢行し閥族派とスラ一派を追放したことを受け、ミトリダテスとの講和を急ぎ、前83年、ローマに戻ったスラは、すでにマリウスは亡くなり、その子小マリウスが守るローマを一気に攻略し、平民派に大規模な復讐を遂げる。

Episode 妻のかたわらで夫が、母のかたわらで子が、殺された

(引用)スラは虐殺にとりかかり、数知れずきりのない流血が都にみちわたった。多くの人がスラとはかかわりなく私的な恨みから殺され、彼はそれを許して、彼のまわりの人たちを甘やかした。……(ある青年から「あなたが罰しようと思う人を、明示して下さい。」と言われたスラは、次々と処刑者を告示した。)彼は公告にさいして、公告された人をかくまってやった者は、その親切の罰として死刑に処することを定め、親子兄弟といえどもその適用を免れないものとした。また公告された人を殺した者には、その殺人の賞として2タラントンを与えるものとし、たとい奴隷が主人を、子が親を、殺してもよいことを公告した。……公告はローマばかりでなく、イタリアの全市において行われた。神殿も客をもてなす宿も父祖の家も、殺しを避けられなかった。妻のかたわらで夫が、母のかたわらで子が、殺された。<プルタルコス『同上書』 p.417-418>

独裁官スラ

 スラは前82年に独裁官(ディクタトル)となり、3年間にわたり独裁者としてふるまった。それは時の人からも恐怖政治と言われた圧政であった。スラは、みずからの添え名を「フェリクス」(幸福な者、の意味)と吹聴し、人々にそう呼ばせた。
 スラの配下の軍人からは、ポンペイウスクラッススがライバルとして頭をもたげ、閥族派を継承した。スラ政権下で不遇だった平民派の若手にカエサルがいる。
(引用)彼は虐殺のほかに、いろいろな点で人々を苦しめた。すなわち彼は、みずからを独宰官(ディクタトル)と宣言し、百二十年ぶりでこの官職を採用した。彼に対しては、過去の一切の行為を不問にする特典が決議され、また将来については、生死の決定、財産没収、殖民への土地配分、都市の建設と破壊、さらに王権を取り上げて自分の欲する人に与えるなどの権能が、決議された。……ルクレティウス・オフェラはマリウスを包囲で打ち破った人であるが、コンスルの地位を求めて選挙運動をしたのに対して、スラはまずそれをやめさせようとした。しかしこの人が大勢に取り巻かれて広場に入ってくると、スラは手下の小隊長の一人をつかわして、この人を殺させた。そして自分は双子神の神殿の壇に座して、上からその殺しを見下ろしていた。<プルタルコス『同上書』 p.419-420>

Episode 独裁者、シラミに食われて死す

 スラは前79年、突然独裁官を辞め、カンパニア地方の田舎に引退した。そして翌年、あっけなく死んでしまった。そのありさまは次のようだった。
(引用)スラは家庭に(再婚した若い)妻がいるのに、女役者やキタラ奏きの女や舞台の芸能人どもとつきあい、昼間から宴席に横たわって、酒を呑んだ。……スラは、(女形の)メトロピオスが老いても、いつまでも彼に執心を続けて、そのことを否定もしなかった。さて彼はこんな調子でいたので、ちょっとした原因から始まった病気をこじらせた。しかもしばらくの間、内臓にうみが出たことに気づかなかった。この病気のために彼の全身が腐って、虱(シラミ)がわいた。そこで多くの人が昼も夜もそれを取り除いたが、取り除いた分は、あとから発生した分にくらべて、物の数にもならなかった。そして彼の衣類や風呂やすすぎ水や食物など一切が、彼の流出したものや腐敗したもので汚染した。……病勢は急速に進展し、どんなに洗い清めても、虱のたかる数にはかなわなかった。……(最後に)自分で叫び声をあげてひきつけたため、膿腫を破裂させ、おびただしく出血した。このため力が抜けてしまい、悲惨な一夜を過ごして死んだ。<プルタルコス『同上書』 p.423-424>
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1章3節 ウ.内乱の一世紀
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プルタルコス/高橋秀訳
『プルタルコス英雄伝』中
ちくま学芸文庫