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ソクラテス

古典期ギリシアを代表するアテネの哲学者。

前5世紀のギリシアの代表的哲学者で、ソフィストたちの相対主義的な考えを克服して真理の探究に努め、プラトン、アリストテレスと続くギリシア哲学を発展させた。弟子のプラトンの『ソクラテスの弁明』やクセノフォンの『ソクラテスの思い出』などによって知られる。(ソクラテス自身が書き残した書物は一切無い。)ペロポネソス戦争(前431年~404年)の時期のポリス民主政の衰退期に当たり、ソフィストたちの相対主義的な考え方に満足せず、誰彼となく対話(討論)をいどみ、「無知の知」を自覚することを説いた。彼はその対話法(ディアレクティケー)によって普遍的な真理を追究するというい方法をとった。しかしその態度はアテネの当局から若い人々を惑わす危険な人物と見なされ、民衆裁判所で裁判にかけられた結果、有罪となった。ソクラテスには弁明の機会も与えられたが、「悪法もまた法なり」といって自ら毒人参の液を呑んで刑に服した(前399年)。なお、彼の妻クサンチッペはたいへんな悪妻であったことで有名。

「無知の知」の意味

 ソクラテスは父は石工で母は助産婦、ペロポネソス戦争に従軍したなどがプラトンなどの著作で伝えられているが、はっきりしていることは前399年に裁判で有罪となり、処刑されたということだけである。ソクラテス自身が書き残したものは一切残っていない。最近の哲学史概説書では、「クサンティッペが悪妻であったのでは、たぶんない。ソクラテスが好色かつ酒好きな道楽者で、無能の人だったのである。」と言われている。また、「無知の知」についても、ソクラテスは「知らないことを知っている」と言ったのではなく、「知らないと思っている」と言ったのだという。前者であればソクラテスは「知者」つまり、ソフィストになる。ソクラテスはあくまで「知を愛し、知を求めるもの」、つまりフィロ・ソフォスであった。<熊野純彦『西洋哲学史』古代から中世へ 2006 岩波新書 p.67-70>

Episode 醜く死んだ?ソクラテス

 なおソクラテスの生没年、前470/469~前399年を、「死なれ、みにくく」と訓むのは、加藤尚武氏の『ジョーク哲学史』<1983 河出書房新社 p.36>
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ノートの参照
第1章2節 コ.ギリシアの生活と文化
書籍案内

熊野純彦
『西洋哲学史 古代から中世へ』
2006 岩波新書