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クラッスス

前1世紀、ローマ共和制末期に三頭政治(第1回)の一角を占めた実力者。カエサル、ポンペイウスに対抗した大富豪で軍人。パルティアとの戦いで戦死した。

 クラックス(前115頃~前53 フルネームはマルクス=リキニウス=クラックス。Crassus なので、グラックス Gracchus と間違えないこと)はローマ共和政末期、カエサルポンペイウスと共に第1回三頭政治を行った軍人、政治家で大富豪。クラッススは新興勢力である騎士(エクイテス)階級に属していた。東方遠征の途次、パルティアとの戦いで敗れて戦死した。内乱の1世紀といわれた、ローマが共和政から帝政に移行する時期に、実力によって台頭した人物であった。

第1回三頭政治

 父はスラの副官でマリウス派と戦い自決した。その遺児のクラッススに対しスラは消防団の組織を与えた。クラッススは火事が起こると現場にかけつけ、消化の前に持ち主に権利を売り渡すことを約束させてから消火に当たったという。そのようにして財産を蓄え、将軍となってスパルタクスの反乱の鎮圧にポンペイウスとともに功績を挙げる。カエサルに資金を提供してその協力者となり、ポンペイウスとともに第1回三頭政治を行う。

パルティアとの戦いで戦死

 クラッススは勢力圏はアジアのシリアであったが、そのころ東方ではパルティアの勢力が強まり、シリア・パレスティナに及んできたため、自ら遠征を企てた。戦費調達のためイェルサレム神殿の宝物を略奪した。しかし、前53年、カルラエの戦いでパルティア軍に敗れ、戦死してしまった。

Episoce 富者の象徴となったクラッスス

 クラッススの名は、後の時代まで、「富と贅沢」の象徴だった。さらに「太っている」という意味ももつようになり、富者を揶揄する言葉として用いられた。1517年にルターがヴィッテンベルク城門に張り出した「九十五ヶ条の論題」の86項に、次のような文がある。
(引用)また、なぜ教皇は、財政的に今日では豊かなクラッススより富を得ているのに、貧しい信徒たちのお金ではなく、自らのお金で、この聖ピエトロ大聖堂だけでも建ててみようと思わないのか。<ルター/深井智朗『宗教改革三大文書』2017 講談社学術文庫 p.38 解説 p.44>
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1章3節 ウ.内乱の一世紀