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マリウス

前2~1世紀、ローマの軍人出身で台頭した平民派の代表的存在。

平民(農民)出身の軍人で、ユグルタ戦争(前111~105、北アフリカのヌミディアの王ユグルタが起こした叛乱)で武勲をたて護民官に当選。さらに異例の5年連続の執政官となった。マリウスはそれまで何度も執政官を出していた名門貴族ではなく、その家系で初めて執政官となったので「新人」と言われた。当時北方のガリアのゲルマン人(キンブリ族、チュートネス族)の侵攻が始まり、大きな脅威となっていたが、マリウスはそれを撃退した。  マリウスはローマ軍の再建に着手、軍制改革を実施した。それは、有産市民からの徴兵制をやめ、無産市民から給与の支給、掠奪の許可、土地の配分を条件に志願兵を募るという職業軍人制に転換するというものであった。これによって軍を立て直したが、ローマ共和政を支えた市民軍の原則(徴兵制)は終わり、職業軍人あるいは傭兵に依存する国家に変質した。

平民派の出現

 ガリア人との戦争でも大勝したマリウスは、奪った戦利品と領土を贈与され、大富豪となった。彼自身は政治には無関心であったが、当時、台頭してきた新興勢力である騎士階級には、元老院の権威に反発して、実権を握ろうと一派が現れ、彼らはマリウスの名声を利用して棟梁として仰ぐようになった。彼らは平民の支持をとりつけて保守的な元老院の支配に反抗したので、平民派と言われるようになった。それに対して、元老院に依拠する貴族(新貴族も含め)たちは既得権を守ろうと、閥族派に結束した。

スラとの対立

 マリウスは一時引退するが、前91年同盟市戦争が起こるとふたたび呼び出されて軍の指揮を取り、反乱軍を厳しく弾圧した。その戦争で副官だったスラと対立し、スラは閥族派の中心人物となる。前88年にはスラとの争いに敗れてアフリカに逃れた。スラがミトリダテス戦争のために小アジアに向った留守に、ローマで平民派のクーデターが起こるとローマに戻り、閥族派を処刑、権力を奪回した。前86年、その死後権力は子の小マリウスが継承するが、ローマに戻ったスラ軍に敗れる。
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ノートの参照
第1章3節 ウ.内乱の一世紀