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トラヤヌス

2世紀の初め五賢帝の2番目の皇帝。ダキアとパルティアに遠征し、ローマ帝国の領土を最大とした。

ローマ帝国領最大に

トラヤヌス戦勝柱
トラヤヌス戦勝柱
 ローマ帝国の全盛期、五賢帝ネルウァに次ぐ二番目の皇帝。在位は98年~117年。属州ヒスパニアで生まれ、軍人として育ち、若くして軍団の指揮官となり、各地を転戦して人望があった。先帝ネルウァは元老院議員を務め、老齢でもあって軍隊に人気がなかったので、後継者に血縁ではないトラヤヌスを選んだ。トラヤヌスは皇帝に指名された時はガリアの戦線にいた。属州生まれでは初めて皇帝となった。在位98~117年。トラヤヌスには子供がなかったので、その下で従軍していた有能な軍人のハドリアヌスが軍隊に推されて後継者を名乗り、元老院が承認して皇帝となった。
 トラヤヌスは内政では元老院の意を尊重し、もっぱら外征にあたり、北方のドナウ川以北のダキアと東方のパルティアに対する征服活動を成功させ、帝国領土を最大に拡大した。

ダキア戦争

 ドナウ川の北側に広がるダキア(現在のルーマニア)は、ローマに服属していなかった。トラヤヌスは101~102年、ドナウを越えて軍事行動を行い、いったん制圧し服従させた。105年、再び遠征を行い、106年までに勝利をおさめ、その地を属州ダキアとして帝国領に組み入れた。
トラヤヌスの戦勝記念柱 ダキア戦争に勝利したトラヤヌスは、掠奪と獲得した奴隷を売却して巨額の富を得た。112年には、その富を投じてローマに広大なフォルムと市場を建設し、さらに元老院はトラヤヌスの勝利を記念する記念柱(右図)を建設した。トラヤヌスの戦勝記念柱には、らせん状に彫られたレリーフに、ダキア戦争の詳細なようすが描かれており、トラヤヌス時代のローマ軍の装備や戦闘の様子を伝える貴重な史料となっている。<クリス・スカー/吉村忠典監修/矢羽野薫訳『ローマ帝国-地図で読む世界の歴史』1998 河出書房新社 p.58>

パルティア遠征

 さらに114年から、すでに60歳を超えていたが、インドを目指して東方遠征に出発、パルチアの都クテシフォンを占領し、メソポタミア北部・シリア・ペルシア・アルメニアを奪った。116年にはローマ軍を率いたトラヤヌス帝は、メソポタミア南部まで進出し、ペルシア湾岸まで到達した。
 このトラヤヌス帝の遠征によって、ローマ帝国の領土が最大となり、最も東に及んだ。しかしこの広大な領土を維持することは困難であり、メソポタミア南部はすぐに放棄せざるを得なくなった。さらにトラヤヌスは老齢のために征服地にとどまることはできず、ローマにもどる途中、117年、セリーノで64歳の生涯を終えた。

トラヤヌスのローマ造営

 トラヤヌスは歴代の皇帝と同じように、首都ローマの都市機能を整備し、また外征の勝利を記念して権威を高めるための建造物を造った。ローマの公共広場(フォーラム)にトラヤヌス広場を設け、その中心に「トラヤヌスの円柱(戦勝記念柱=右図)」を建てて、ダキア遠征の勝利を記念した。また、大きな公共浴場(トラヤヌス浴場)を建設し、そのためにローマの水道を整備した。また建設以来500年経っていたアッピア街道を修築した。
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ノートの参照
1章3節 エ.ローマ帝国
書籍案内

青柳正規
『皇帝たちの都ローマ』
1992 中公新書