印刷 | 通常画面に戻る |

五賢帝

1世紀末から2世紀末まで、ローマ帝国の全盛期にあたる安定期。

ローマ帝国のほぼ2世紀に登場した、ネルウァトラヤヌスハドリアヌスアントニヌス=ピウスマルクス=アウレリウス=アントニヌスの5人の皇帝をいう。ネルヴァ帝の即位した96年から、マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝の退位した180年までの約100年間を、特に五賢帝時代という。それまで相次いだ皇帝位をめぐる血腥い事件もなく、政局は安定し、またローマ帝国の領土が最大となるなど、その最盛期を迎えた。この帝位は、ハドリアヌスをのぞき、有能な人物が前帝の養子となる形で継承された。

ギボンの五賢帝論

 18世紀イギリスの歴史家ギボンは『ローマ帝国衰亡史』の中で次のように述べている。
(引用)仮にもし世界史にあって、もっとも人類が幸福であり、また繁栄した時期とはいつか、という選定を求められるならば、おそらくなんの躊躇もなく、ドミティアヌス帝の死からコンモドゥス帝の即位までに至るこの一時期を挙げるのではなかろうか。広大なローマ帝国の全領土が、徳と知恵とによって導かれた絶対権力の下で統治されていた。軍隊はすベて四代にわたる皇帝の、強固ではあるが平和的な手によって統制され、これら皇帝たちの人物および権威に対して、国民もまたおのずからなる敬仰の念を献げていた。その文民統治はネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、そして両アントニヌスとつづく歴代皇帝によって慎重に守られた。彼らとしても自由の世相に喜びを感じ、みずから責任ある法の施行者であることを任としていたのだ。もし当時のローマ人にして、理性的自由を楽しむ心があったならば、おそらくこれら皇帝こそは、かつての共和政時代をふたたび蘇らせたという栄誉に値いしたはずである。<エドワード・ギボン(中野好夫訳)『ローマ帝国衰亡史』1 ちくま学芸文庫 p.156>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第1章3節 エ.ローマ帝国
書籍案内

エドワード・ギボン
『ローマ帝国衰亡史』1
中野好夫訳
1997 ちくま学芸文庫