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ハドリアヌス

2世紀前半、五賢帝の3番目の皇帝。

ローマ帝国の全盛期、五賢帝の3番目の皇帝。在位117~138年。先代のトラヤヌスと同じ、属州ヒスパニアの生まれ。軍人としてガリアやシリア、ギリシアなどを転戦し、人望が篤く、またギリシア文化にも通じた文化人としても知られていた。トラヤヌス急死の後、軍隊の支持によって後継者となり、元老院が承認して皇帝となった。彼は無理な領土拡張策は採らず、いわば“平和的手段による国家経営”にあたり、属州の経営と都市ローマの整備に努め、ローマ帝国の安定をもたらした。次の皇帝として元老院議員のアントニヌス=ピウスを指名して病死した。

領土拡張時代が終わる

 皇帝になるとまず東方のパルティアとの戦争を中止して兵を引き揚げ、アルメニア・メソポタミアをパルチアに返還した。これで建国以来続いた外征はいったん終わることとなった。これはローマ帝国の膨張が終わるという重要な転換を意味していた。軍人として前線にいた彼は、膨張しきった戦線を維持することが非常に困難であることを理解し、特にアルメニア・メソポタミアの維持は困難と現実的な判断したのだった。その後、皇帝としての仕事はもっぱら残された広大な属州の維持につくし、彼自身が旺盛に帝国各地を巡回した。最も遠いブリタニアでは北方のケルト人に対して「ハドリアヌスの長城」と言われる118キロに及ぶ防壁を築いた。それはイギリスに現存するローマ帝国時代の遺跡である。また、バルカン半島のエディルネはハドリアヌスの時に築かれた都市なのでアドリアノープルといわれていたが、後にオスマン帝国に占領され、1366年にその都とって現在の都市名に変えられた。

都ローマの造営

 当時ローマは、約1400ヘクタールの広さをもち、100万の人口をかぞえていたが、アウグストゥス以来百年が経過し、都市の整備計画が必要とされていた。ハドリアヌスは解放奴隷アエリウス=フレゴンに命じて綿密な都市整備計画をたてた。その基本は皇帝の権威を高めることと同時に元老院議員の自尊心を満足させ、市民生活の利便性を高めることであった。まず、パンテオン(万神殿)を建設して神々に守られたローマを演出し、また自ら設計図を書いてウェヌスとローマ神殿を建設した。

評価の高い“巨人皇帝”

 ハドリアヌスは歴代のローマ皇帝の中でも高い評価を受けている一人である。次はその例の一文。
(引用)一度しかあったことのない兵士の名前でさえ正確に記憶していたというハドリアヌスは、政治、経済、軍事だけでなく、法律、宗教、文学、数学などさまざまな分野に通暁した万能の人間だった。瑣末なことにも旺盛な好奇心を示しながら、大局の判断を狂わせることはなく、冷静周到に計画を練りながら、決断実行においては大胆果断であった。ユピテルの威厳をマルスの勇猛さをそなえ、アエスクラピウスのような慈愛に満ち、ヘリオスのように光り輝いていた。その一方で、都においては最善の市民として振る舞いながら、属州にあっては神として崇められることを拒まなかった。元老院を尊重し、協調を旨としながら、都とイタリアの外では元老院をないがしろにすることもしばしばであった。優れた資質と才能をいかんなく発揮した皇帝でありながら、矛盾、対立、撞着をうちにもつ人間でもあった。・・・<青柳正規『皇帝たちの都ローマ』1992 中公新書 p.315>
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第1章3節 エ.ローマ帝国
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青柳正規
『皇帝たちの都ローマ』
1992 中公新書