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13植民地/アメリカ大陸のイギリス植民地

17~18世紀に、北アメリカ大陸西岸にイギリス人が入植して成立した植民地。それぞれが自治を行っていた。イギリス本国による課税強化に反発し、1775年に独立戦争が始まった。

 北アメリカ大陸の東海岸(大西洋岸)にイギリスによって築かれた、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、コネティカット、ロードアイランド、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノース=カロライナ、サウス=カロライナ、ジョージアの十三の植民地。
 最初に建設されたのは、1607年のヴァージニア、最後が1732年のジョージア。当初は国王から特許状を得た会社による植民(会社植民地)が多く、他に領主植民地、自治植民地があったが、次第に王領植民地が増加した。18世紀半ばにはの状況は、次の通り。
  1. 王領植民地:ニューハンプシャー、ニューヨーク、ニュージャージー、ヴァージニア、ノース=カロライナ、サウス=カロライナ、ジョージア
  2. 領主植民地:ペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランド
  3. 自治植民地:コネティカット、ロードアイランド、マサチューセッツ
  4. ※マサチューセッツは、王領植民地だが、1774年から総督と議員は住民による選挙が認められ、半自治植民地となった。)
 いずれにおいても植民地議会を持って一定の自治を認められていたが、その範囲はそれぜぞれの植民地の中に留まり、最終的な権限は総督を通じて本国政府が持っていた。
 イギリス領の13植民地の北方に広がるカナダや、西に広がるルイジアナ(ミシシッピ流域)には、ブルボン絶対王政下のフランスが広大な植民地を獲得しており、両国はヨーロッパ本土で覇権を巡って争うと共に、激しい英仏植民地戦争をアメリカ大陸とインドで展開していた。

13州の独立運動

 この両者の戦いは、七年戦争(1756~1763年。アメリカ大陸でのフレンチ=インディアン戦争)でイギリスの勝利として終わったが、18世紀後半からイギリスはその戦争の出費を、植民地に対する課税強化でまかなおうとし、重商主義政策(本国の産業を保護するため植民地の産物に高関税をかけた)と砂糖法印紙法などの課税強化を押しつけてきた。1773年の茶法に対するボストン茶会事件から対立は激化し、1775年4月、ついにアメリカ独立戦争が勃発した。
 13植民地は1776年にアメリカ独立宣言を発し、1781年までに勝利を占め、それぞれ独立してアメリカ合衆国を構成する Original Thirteen States となる。アメリカ合衆国国旗である星条旗に観られる13本のストライプは、このオリジナル13州を象徴している。

イギリス領北米植民地の三類型

王領植民地

 イギリス領北米大陸植民地の一形態。国王が総督・議員を直接任命する。総督は課税、管理の任免、土地の下付などの権限を持つ。議会は植民地に関する立法権を持つが、総督は拒否権を行使できた。イギリス本国は、このような王領植民地を増やしていったが、植民地側は議会を足場に次第に自治権を拡大していった。その例は、ニューハンプシャー、ニューヨーク、ニュージャージー、ヴァージニア、ノース=カロライナ、サウス=カロライナ、ジョージアである。なお、マサチューセッツは王領植民地として成立したが、1774年から総督と議員は住民による選挙が認められ、半自治植民地となった。

領主植民地

 イギリス領北米植民地の一形態で、特許状を有する貴族が総督などを任命する。国王から特許状を与えられた貴族が、植民地を開拓し、入植者には封建的な地代を課し、また現地の総督と議会の議員を任命する。ニューヨーク(ヨーク公が領主)、カロライナ、ジョージアなどは領主植民地として出発したが、18世紀中頃に王領植民地に編入され、残った領主植民地はペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランドのみであった。

自治植民地

 イギリス領北米植民地の一形態で、入植者が総督と議員の選出に参加できる権利を持つのが特色である。初期のジェームズタウン、プリマスなどは特許状を得た合資貿易会社が植民地を開発し、会社の社員が住民として総督と議員を選出して政府をつくった「会社植民地」であった。しかし多くは王領植民地に編入され、「自治植民地」として残ったのはコネティカット、ロードアイランドだけであった。(マサチューセッツは、王領植民地だが、1774年から総督と議員は住民による選挙が認められ、半自治植民地となった。)
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ノートの参照
10章2節 ア.北アメリカ植民地の形成