印刷 | 通常画面に戻る |

アメリカの南北対立

アメリカ合衆国の独立後、1820年代から次第に明確になった、北部と南部の産業構造の近いからくる対立。1865年に南北戦争へとつながった。

アメリカの南北対立

 アメリカ合衆国は、東海岸の13植民地の独立から始まり、次第に西部に領土を拡張していった。その過程で、北部と南部では、その産業のあり方などから、顕著な違いが明らかになっていった。
・北部:独立時の13州で、自由州(黒人奴隷制度を認めない州)のマサチューセッツ、ニューハンプシャー、ニューヨーク、ペンシルヴェニア、コネティカット、ロードアイランド、ニュージャージーの7州。東海岸を中心に、工業(繊維、製材、機械、造船など)と商業を中心に発展。早くから奴隷制度は廃止され、
・南部:奴隷州となったメリーランド、ヴァージニア、デラウェア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージアの6州。綿花プランテーションを中心とした農業地域であり、黒人奴隷制が維持された。
 アメリカ合衆国憲法では中央政府として連邦政府がつくられたが、北部は連邦政府の権限を拡大し統一を強め、統一された経済制度のもとで国内需要を高めるため、連邦主義の立場が優勢であった。それに対して、南部の諸州は、連邦政府の権限を制限し、州の自治権を拡大する反連邦派(州権主義)を主張した。
 貿易政策では、北部はイギリス製工業製品との競争から国内産業を守るため、保護貿易(イギリス工業製品に関税をかける)を主張し、南部は主産物の綿花の輸出を増やすため自由貿易を主張した。
 → 南北戦争

北部

自立した北部の経済 独立後、アメリカ北部では、造船や製材、皮革、海運業、漁業、穀物栽培を中心とする農業や商業など、さまざまな産業が興隆していた。これらの産業は、ある意味でイギリスと競合していた。もともとアメリカは、工業製品を主にイギリスから輸入していた。世界に先駆けて産業革命を経験し、世界の工場と呼ばれたイギリスは、安価な工業製品を生産できたからである。
 ところが19世紀初め、ヨーロッパでナポレオン戦争が始まり、イギリスはロシア、プロイセンなどとともにフランスと戦争状態となり、ナポレオンが大陸封鎖令を出してイギリスを海上封鎖したのに対抗して、イギリスもヨーロッパを海上封鎖するという措置に出た。そのためヨーロッパとの貿易を遮断されたアメリカは、イギリスとの間でアメリカ=イギリス戦争(1812年戦争)が勃発した。このためイギリスから工業製品が入ってこなくなったので、ニューイングランドや中部植民地を中心に繊維、製材、造船と云った工業が発達し、流通や金融も発展した。1820~30年、北部では交通網が整備され、空前の開発ブームとなった。そのような北部の事情から、北部の主として産業資本家は、貿易政策では自国工業生産の保護のために保護貿易を主張した。
 さらに19世紀前半から半ばには、人口の都市への集中によって安価な労働力が増え、経済の多様化も進み、イギリスとの貿易に依存しない、比較的自立した工業発展をすることができた。そして、黒人奴隷を解放して労働力の供給源とし、彼らが自由に商品を消費することによって国内市場の拡大すると考え、黒人奴隷制には反対を主張した。

南部

イギリスに依存した南部の経済 19世紀、イギリスの繊維産業を支える原材料として、綿花が重要視された。温暖な南部は綿花の栽培に適していたため、1820年代以降、南部の内陸部では綿花生産が広がり、綿花栽培に特化したプランテーションによるモノカルチャー経済構造が支配的となった。アメリカ南部の綿花生産量が増大すると、それを支えるために、多くの黒人奴隷制が必要となり、その数も1790年には70万人だったものが、1860年には400万人へと、6倍近くに増えていた。
(引用)アメリカ南部からイギリスの綿織物工業に供給された原料の綿花は、その75%を占めていた。イギリスにとって綿花生産地の南部派不可欠の存在であり、アメリカ南部にとってもイギリスとの貿易がその経済を支えるもっとも重要な柱だった。そのため、南部のプランターは、貿易政策では自由貿易を主張した。
 たとえばこの時期、綿花栽培地域は、時間とともに次第に南西部へ移動していったが、イギリスの金融資本家は、南部のプランターに対して、耕作地の移動や移動先での土地開墾などのために、資金調達や信用貸しを行った。また、イギリスのジェントリーや貴族に憧れていた南部の大プランターは、イギリスから高価な調度品や奢侈品を輸入し、子息をイギリスに留学させるために、彼らから融資や協力を受けることも多かった。<杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社文庫 p.33>
 しかし、綿花の大量生産は、その価格の下落をもたらす。すると大プランターはさらに増産しようと耕地を拡大しようとする。その労働力としての黒人奴隷と、資金提供先としてのイギリス金融資本への依存度がますます強くなるという結果をもたらした。
 南部はまさに「綿花王国(コットンキングダム)」であったが、他に砂糖(ルイジアナ)、米(サウスカロライナ、ジョージア)、タバコ(ケンタッキー、テネシー)も重要な農産物であった。
南部諸州の地域差 南北戦争前の南部15州は旧南部(オールドサウス)と云われるが、それにも地域差がある。
高南部(アッパーサウス)7州 デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノースカロライナ、ケンタッキー、テネシー、ミズーリ(奴隷州であるが、奴隷人口は少ない)
低南部(ロアサウス)8州 サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ、アーカンソー、フロリダ、テキサス(奴隷人口がいずれも40%を越える。)
 低南部のうち、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナの5州を「深南部(ディープサウス)」といい、綿花栽培の中心地帯で「コットンベルト」ともいわれる。南北戦争の南部を牽引した諸州である。  → アメリカ連合国  南北戦争
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第12章3節 ア.領土の拡大
書籍案内

杉田米行
『知っておきたい
アメリカ意外史』
2010 集英社新書

意外とまじめなアメリカ意外史。