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武漢国民政府

国共合作のもと、1927年に広東国民政府が本拠を武漢に移す。蒋介石の上海クーデター以降は南京国民政府と対立した。

 中国国民党国民政府として最初に樹立された広東国民政府(広州国民政府)が、北伐が進んで長江流域を制圧したので、1927年2月、武漢に移動してからを武漢国民政府、あるいは武漢政府という。第1次国共合作のもとで、国民党左派の汪兆銘(汪精衛)を中心とし、共産党員も加わっていた。
 しかし、国民革命軍を率いて北伐を進めていた蔣介石は、1927年4月12日、上海クーデターを決行し共産党に大弾圧を加え、南京に武漢政府とは別に独自の南京国民政府を樹立し、国民政府は武漢と南京に分裂した。しかし、7月には武漢政府内でも国民党と共産党が決裂して共産党が排除され、第1次国共合作は崩壊した。その後、武漢政府は実質的に消滅し、南京政府に吸収される。
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ノートの参照
第15章3節 ウ.国民党と共産党