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塘沽停戦協定

1933年、日中間に締結された満州事変の停戦協定。

 1933年5月31日に締結された、満州事変後の日中間の停戦協定。塘沽(タンクーまたは、とうこ)は中国の天津近郊の地名。満州事変後、日本は満州国を成立させ、さらに隣接する熱河省を「満州国の予定領域」と称して、1933年1月から3月にかけて「熱河作戦」を展開、山海関を占領し、さらに長城を越えて中国本土に迫った。中国政府は日本軍の北京侵攻を恐れ、北京の故宮の重要文化財を南京に移送を始めた。蔣介石は、対共産党作戦(囲剿作戦)を優先していたが、この事態に熱河失陥の責を負わせて張学良を軍政部長から辞職させ、ひとまず日本軍の進撃を食い止めるため、停戦に踏み切った。この協定で、日本軍は長城戦まで退くと同時に、中国軍も撤退させ、非武装地帯を設定することとなった。それは、事実上、日本の東北三省と熱河省の占領を黙認し、満州国の存在を認め、さらに河北省19県の統治権を喪失することを意味していた。日本軍は一連の軍事行動をこの協定でいったん停止する。 
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ノートの参照
第15章4節 ウ.満州事変・日中戦争と中国の抵抗