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孔子

前6~5世紀、中国の春秋時代末期、魯国の人で、儒学・儒教思想の祖。周の封建制度下の社会を理想とし、諸侯に仁による政治を説いた。著作に『春秋』、言行録に『論語』などがあり、その思想は孟子に継承られ、江青の中国ののみならず朝鮮・日本などにも大きな影響を及ぼしている。

 春秋時代の末期、前552年(前551年説もある)に小国の「士」の階級に生まれた(現在の山東省曲阜県)。前510年、私塾をつくり弟子の教育を始めた。その人物を認められ国政に携わって司法大臣の仕事に就いたが政争に巻き込まれ失脚、魯を離れて諸国を流浪する。14年間の苦難を重ねながら思索を深めた。春秋末期の社会の激変期に生きた孔子は、前479年に73歳で亡くなるまで三千人の弟子を教え、馬車に乗って諸国遊説を実践していた自由人であった。彼は古い封建制と宗法が解体する変革の時代にあらわれた、諸子百家の先駆となり、その代表的思想家であった。

孔子の思想

 その思想は「」という人間が個人として自己と他者を認め合うことであり、西周の時代を理想の時代として、力による覇権を求める春秋戦国の諸侯たちに反省を促すものであった。孔子と弟子たちの会話を録したのが『論語』、孔子の編纂した書物と伝えられるのが魯の年代記の『春秋』である。彼の教えはそれを継承した孟子などの儒家の思想も含めて儒教と言われ、それを信奉する学派が儒学である。その思想は漢代に儒学の国教化によって、長く中国の支配的な位置を占めることになる。 → 儒教のまとめ

Episode 孔子の子孫

 漢代に孔子は聖人として祭られるようになり、その子孫も代々の王朝に保護されてきた。そのため、孔子の子孫は現代まで続いている。孔子の時から約2500年、当主は77代目で、まだに曲阜の孔子廟を守っているという。世界で最も古い家系かもしれない。

孔子の子孫の受難

 中華人民共和国の時代になって、孔子廟を守る子孫に大きな試練が来た。1966年に本格化したプロレタリア文化大革命の中で、毛沢東や林彪、文革小組の陳伯達らにけしかけられて、「旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣」の「四旧打破」を掲げて暴れ回った紅衛兵が、ここまでやってきたのだ。1966年11月10日、北京師範大学「井崗山」先頭グループを名乗る紅衛兵200名が「孔府の門をこじ開けろ」というスローガンのもと曲阜に来て、「孔家店徹底撲滅大会」を開催、孔子の墓石を打ち砕き、孔子像を粉々に壊し、墳墓を掘り返して平らにし、第76代目の子孫「衍聖公」孔令胎の棺を開けて屍を衆目に晒した。紅衛兵が一ヶ月あまり滞在した間に、数千年にわたって保存されてきた中国の貴重な文化財は破壊し尽くされ、文明の遺産は多大な被害を被った。<厳家祺・高皋/辻康吾訳『文化大革命十年史』上 1996 岩波書店初版 p.60>
 また文化大革命の後半で、林彪事件の後に毛沢東とのもとで、江青を含む四人組は権力を掌握し、それに対立して文化大革命の収束を謀った周恩来を批判した際に、周恩来を孔子になぞらえて、孔子を批判することで周恩来を批判する意図で批林批孔運動を展開した。