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パルテノン

パルテノン神殿
アテネのアクロポリスに建つパルテノン神殿

古代ギリシアの代表的ポリスであるアテネの中心部アクロポリスの神殿。

 アテネの中心部アクロポリスの丘の上に建設された神殿。ポリスの最強国であったアテネが、国の威信をかけて建設したもので、守護神アテナ(12神の中の知恵の神)がパルテノス(処女の意味)の神であったところからパルテノンと言われた。パルテノンはペルシア戦争で破壊されたため、ペリクレスが再建を命じ、フェイディアスを総監督とし、建築をイクティノス、施工をカリクラテスが担当して、前447年に起工され前432年に完成した。この期間は前449年に終わったペルシア戦争と、前431年に始まるペロポネソス戦争の間の、アテネの覇権のもとでギリシアに平和がもたらされていた時期に当たっている。
 全体はドーリア式の建築とされ、ペンテリコン山の大理石を用いている。高さは150m。フェイデアスの作であるアテナ像は象牙と黄金で造られていたと言うが今は失われている。プルタルコスの『対比列伝(英雄伝)』ペリクレス伝によるとあらゆる職人、工人が動員されたという。上部がやや細く、昼間部がふっくらとしたいわゆるエンタシスの列柱に支えられて屋根があったが、現在は崩壊している。また屋根の下部の四面と東西の破風には彫刻が施されていた。その一部は現在ロンドンの大英博物館に保存されている。

Episode パルテノンのその後と現在

 パルテノンは後にキリスト教の教会として使用され、さらに1456年にギリシアがオスマン帝国の支配下に入ってからはイスラーム教のモスクに転用されながらも、ほとんど完全な姿を保っていた。ところが、1687年にトルコ軍が建物内に貯蔵していた火薬がヴェネツィア共和国軍の砲弾の命中で炸裂し、大きな損傷を受けてしまった。廃墟となっていたパルテノンを19世紀の初めに調査したイギリスの駐トルコ大使エルギン卿は、移動可能な大理石のほとんどを買い取って、本国に運んだのだった。これがエルギン・マーブル(マーブルは大理石の意味)といわれ、現在も大英博物館1階の最大の展示物となっている。1983年、ギリシア社会主義政権の文化・科学相のメリナ・メルクーリ(1960年公開の映画『日曜はダメよ』の主演女優だった人)は、イギリス政府にその返還を求めたが、イギリス政府は拒否した。ギリシアは現在もその正当な所有者はわれわれであると主張している。<桜井万里子『ギリシアとローマ』世界の歴史5 中央公論社 1997 p.11~ などによる> 
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第1章2節 コ.ギリシアの生活と文化