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コンスル/執政官

古代ローマ共和政の最高位にある公職者。任期一年で二人が民会において選出された。当初は貴族が独占したが、前367年からは1名は平民から選出されることとなった。ローマの行政、財政、軍事など国政全般に権限を有した。

 ローマ共和政で、国制と軍事の最高権力を握る機関(命令権者)がコンスル Consul で執政官または統領と訳す。民会の一つである兵員会貴族(パトリキ)の中から選出されるが、任期は1年で、必ず二人が選出され、互いに拒否権を持つなど、権力の個人への集中をさける工夫がされていた。伝承によると前509年に王に代わってローマにおける最高権力をもつものとしてコンスルがおかれた。「任期1年制」や「複数任命制」は権力の集中を防止する工夫として後に定められ、さらに護民官が設置されてコンスルを牽制した。前367年には二名の統領(これを大統領という場合もある)の他に1名(後に8名に増員)の法務官(プラエトル。小統領という場合もある。定数は6名)が置かれた。
 執政官に選ばれるためには、その前に財務官と法務官を経験することが必要で、経験を積んだ有能な人物が選ばれるようになっていた。また、その政治は元老院の助言を受けて行われた。前367年のリキニウス=セクスティウス法で、コンスルの一人は平民(プレブス)から選ばれることになった。
 コンスル以下のローマの公職の共通する特色は、選挙による選出・複数制・原則1年の短い任期である。これらの高級公職を経験した者が元老院議員となる資格を持ち、実際にはケンソルによって家柄などを勘案して元老院議員が補充されたので事実上貴族に独占されていた。それが前367年の改革で平民からもコンスルになる道が開かれ、その結果、平民出身の元老院議員が出現することとなった。そのような新勢力が新貴族(ノビレス)と言われた。

コンスルの下の公職序列

 在職中のコンスルの命令権は絶対的であり、ローマの暦では彼らの名前で年を特定していた。彼らは国制の全般を指導し、特に共和政期においては、ローマ軍の最高司令官でもあった。コンスル職就任の最低年齢は43歳であった。コンスル職就任の前提条件は、前197年以降はプラエトルであった。プラエトル以下の公職者の序列は次のようになる(高い方から低い方へ)。
  • プラエトル:法務官。定員6名。前述の前367年に新設された官職でコンスルと並んで命令権を持つ。就任最低年齢は40歳。
  • アエディリス:造営官、按察官。4名。ローマ市の街路、市場、水道の管理のほか、穀物供給と公的な催し物の提供。もとはプレブスの公職だったが、前367年に国家の公職となる。
  • トリブヌス=プレブス:護民官。定員10名。任務は平民会の主宰と、公職者に弾圧されている平民の保護。そのための拒否権(ウェトー)と身体への神聖不可侵が認められた。同じく前367年に公職となる。
  • クァエストル:財務官。定数20名。ローマ市の国庫管理と、コンスルと属州総督の財務。その他公文書の管理、艦艇・穀物供給の管理、裁判や軍隊の指導も職務とした。
 ここまでが元老院級の高級公職とされ、このキャリアを上昇したものが権力者となった。これらの毎年選出される公職に対して、特殊なものに、ケンソル(戸口調査官、監察官。任期5年で2名ずつ選出)とディクタトル(独裁官。非常時に1名選出。任期半年以内)があった。これらの公職はいずれも選挙できめられた。(公職の選挙についてはローマ共和政の項を参照。)<島田誠『古代ローマの市民社会』世界史リブレット3 山川出版社>
 その定員や任務に関しては時期によって複雑に変化しているので、上記の説明は主に共和政の時期のものである。前81年にはディクタトルのスラの改革で大幅に定員が増員されている。まお、ローマ帝国となっても、元首政の段階はこれらの公職は存続していたが、次第に皇帝による専制君主政が行われるようになり有名無実化した。

参考 モンテスキューの評価

 18世紀前半のフランス啓蒙思想を代表するモンテスキューは、その『ローマ人盛衰原因論』(1734)で、ローマが発展した要因の一つに執政官制をあげている。
(引用)ローマは、王たちを追放した後、任期一年の執政官(コンスル)制をとった。これがまた、ローマをあの高い権力地位へと導くのに役立った。君主は、その生涯のうち、ある時期は野心的であるが、その後には他の情熱が、また怠惰ささえもがやってくる。しかし、共和国においては、その首長たちは毎年交代し、そして新しい官職を得るため現在の官職で名声を上げようと努めるので、この野心のためには一刻も無駄にすることがなかった。彼らは元老院に指示して、人民に戦争を提議させる様にし、元老院に対し毎日新しい敵を示した。<モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』1989 岩波文庫 田中治男・栗田伸子訳 p.17>

Episode ナポレオンとファシズム

 1799年にクーデターによって権力を掌握したナポレオンは、新憲法を制定して、総統政府を発足させ、みずから第一統領に就任した。この統領(コンシュラ)はローマ共和政での執政官(コンスル)に由来するもので、フランス革命で実現した共和政の精神を継承する意図で用いられた役職名であった。しかし、ナポレオンは実質的な独裁者として行動するようになり、統領という地位をに飽き足らなくなり、皇帝となる。
 なお、この執政官のシンボルとされたのが「ファッショ」という、小枝を束ねたもので、権力は人民に由来し、それが執政官に委託されていることを示すものであった。20世紀のイタリアの独裁者ムッソリーニはそれを持ち出し権力のシンボルとしたところから、ファシズム(全体主義)という言葉が生まれる。
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ノートの参照
1章3節 ア.ローマ共和政
書籍案内

島田誠
『古代ローマの市民社会』
世界史リブレット3
1997 山川出版社

<モンテスキュー
『ローマ人盛衰原因論』
1989 岩波文庫
田中治男・栗田伸子訳