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コンスル/執政官

古代ローマ共和政の重要機関。任期一年で二人任命された。

 ローマ共和政で、国制と軍事の最高権力を握る機関(命令権者)がコンスルで執政官または統領と訳す。民会の一つである兵員会で選出されるが、貴族に独占され、任期は1年で、必ず二人が選出され、互いに拒否権を持つなど、権力の個人への集中をさける工夫がされていた。伝承によると前509年に王に代わってローマにおける最高権力をもつものとしてコンスルがおかれた。「任期1年制」や「複数任命制」は権力の集中を防止する工夫として後に定められ、さらに護民官が設置されてコンスルを牽制した。前367年には二名の統領(これを大統領という場合もある)の他に1名(後に8名に増員)の法務官(小統領という場合もある)が置かれた。
 執政官に選ばれるためには、その前に財務官と法務官を経験することが必要で、経験を積んだ有能な人物が選ばれるようになっていた。また、その政治は元老院の助言を受けて行われた。前367年のリキニウス=セクスティウス法で、コンスルの一人は平民から選ばれることになった。後の帝政期になると有名無実化した。

モンテスキューの評価

 18世紀前半のフランス啓蒙思想を代表するモンテスキューは、その『ローマ人盛衰原因論』(1734)で、ローマが発展した要因の一つに執政官制をあげている。
(引用)ローマは、王たちを追放した後、任期一年の執政官(コンスル)制をとった。これがまた、ローマをあの高い権力地位へと導くのに役立った。君主は、その生涯のうち、ある時期は野心的であるが、その後には他の情熱が、また怠惰ささえもがやってくる。しかし、共和国においては、その首長たちは毎年交代し、そして新しい官職を得るため現在の官職で名声を上げようと努めるので、この野心のためには一刻も無駄にすることがなかった。彼らは元老院に指示して、人民に戦争を提議させる様にし、元老院に対し毎日新しい敵を示した。<モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』1989 岩波文庫 田中治男・栗田伸子訳 p.17>

Episode ナポレオンとファシズム

 1799年にクーデターによって権力を掌握したナポレオンは、新憲法を制定して、総統政府を発足させ、みずから第一統領に就任した。この統領(コンシュラ)はローマ共和政での執政官(コンスル)に由来するもので、フランス革命で実現した共和政の精神を継承する意図で用いられた役職名であった。しかし、ナポレオンは実質的な独裁者として行動するようになり、統領という地位をに飽き足らなくなり、皇帝となる。
 なお、この執政官のシンボルとされたのが「ファッショ」という、小枝を束ねたもので、権力は人民に由来し、それが執政官に委託されていることを示すものであった。20世紀のイタリアの独裁者ムッソリーニはそれを持ち出し権力のシンボルとしたところから、ファシズム(全体主義)という言葉が生まれる。
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ノートの参照
第1章3節 ア.ローマ共和政
書籍案内

<モンテスキュー
『ローマ人盛衰原因論』
1989 岩波文庫
田中治男・栗田伸子訳