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ローマ市民権

都市国家ローマにおける市民権。次第に帝国領内の自由民に拡大された。

はじめは都市国家としてのローマに居住し、義務を果たすもののみが市民とされ、ローマの発展は彼等ローマ市民が支えていた。ギリシアのアテネ市民権は市民権法の定めにより、アテネ居住者以外に拡大されることはなかったが、ローマはその支配圏を拡大さえるにとない、市民権も拡大した。まずイタリア半島統一戦争の過程で服属した都市の上層市民にはローマ市民権を与え懐柔する必要が出てきた。ローマはギリシアと異なり市民権拡大には寛容で、植民市の市民と自治市の上層市民には市民権を与えた。こうしてローマ居住以外のローマ市民も形の上ではローマの35の区(トリブス)に属するものとされたが、直接民主政の原則であるから、ローマまで行かなければ意見を反映させる機会はなかった。また分割統治の方策を採り、支配下に入れた都市でも同盟市の市民には市民権を与えなかった。

半島への拡大

しかし、市民権を認められなかった半島内の同盟市の自由民の中に、次第に市民権を求める声が強まり、前1世紀の同盟市戦争を契機に同盟市にも市民権が与えられた。これによってイタリア半島の全自由民に市民権が認められたことになるが、海外の属州の自由民(ラテン人以外が多い)には依然として市民権は認められなかった。

帝国全土への市民権拡大

紀元前1世紀末に領土が全地中海に及ぶローマ帝国が成立すると、その統治は都市国家の形態をとることができなくなる一方、服属した都市の住民も市民権を要求するようになった。そのようななかで、3世紀初めのカラカラ帝の時、帝国内の全自由民にローマ市民権を与えるアントニヌス勅令が公布された。これによって全自由民は(ラテン人でなくとも)市民権が与えられることとなり、ローマは法的にも都市国家ではなく、世界帝国となったといえる。
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ノートの参照
第1章3節 イ.地中海征服とその影響