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アウグストゥス

オクタウィアヌスに贈られた称号で「尊厳者」、皇帝を意味する。

ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスに与えられた称号。本来は「尊厳者」を意味するラテン語の称号。前27年にローマ元老院がオクタウィアヌスにこの称号を贈り、以後は彼自身をアウグストゥスと呼ぶ。またこれ以後の皇帝の称号ともなるので、ここからローマ帝政が始まるとされる。初代皇帝としてのアウグストゥスは、「ローマ帝国」の体制を作り上げた。

アウグストゥスの業績

 彼は各地に「業績録」の碑文を残している。自画自賛の部分を差し引いて次のようなことが彼の実績および失政とされる。
・内政では身分制の確立に努めた。元老院身分(セナトーレス)は100万セルテルティウスの財産を持ち、生まれながらローマ市民で、財務官職に就いたことのあるもの。幅の広い緋色の縁取りの上衣(トガ)、赤皮の靴を着用することが出来る。騎士身分(エクイテス)は40万セルテルティウス以上の財産をもつ生まれながらのローマ市民であること。金の指輪、狭い緋色の縁取りの上衣を着ける。この層がアウグストゥスの政治を支える官僚層となった。それ以外の市民は平民(プレブス)とされたが、この身分は固定ではなく能力によって変動した。
・また、帝国の首都にふさわしい都市としてローマの整備に努めた。「私はローマを煉瓦の町として引き継ぎ、大理石の都として残すのだ」と自慢している。その他、警察力の強化、結社の禁止など治安の維持をはかり、内政につとめた。何よりもローマ市民からは平和を実現したことがアウグストゥスを皇帝として指示した最大の理由であった。
・対外的には属州を拡大させ、穀物供給を増やした。特にエジプトの属州化は大きかった。また獲得した属州の辺境にケルン(植民地を意味するコロニアが地名の起源)、マインツ、トリアー、アウクスブルク(アウグストゥスの名による)などの植民都市を建設した。しかし、ゲルマン人との戦いではゲルマニアとの国境をエルベ川まで拡大しようとしたが、紀元後9年のトイトブルクの森の戦いで大敗を喫し、失敗している。
アウグストゥス

Episode 8月(August)の名前

 アウグストゥスは、カエサルが定めた暦が無視され混乱していたので、以前の暦法に戻した。この時の暦法の調整で8月を自分の称号にちなみ「アウグストゥスの月」と名付けた。彼は9月生だったが、執政官に就いたのが8月だったことなどから、と弁明した。これが August という月の名の起源である。<スエトニウス『ローマ皇帝伝』上 岩波文庫による>

出題

立命館大 2010年 右図は、イタリアのプリマ=ポルタというところで出土したアウグストゥス立像で、紀元後、14~29年頃に製作された大理石像である。アウグストゥスとは「尊厳者」という意味で、内乱の1世紀と呼ばれたローマ共和政の末期に第2回三頭政治に参加し、紀元前31年にアクティウムの海戦でカエサルの部下であった( A )とプトレマイオス朝エジプトのクレオパトラとの連合軍を破って権力の頂点に立った( B )に対して、紀元前27年に贈られた称号である。これ以降、ローマは帝政時代に入り、いわゆる「ローマの平和」を現出させることとなる。この図のアウグストゥス立像の鎧の表面は、天空の神々のもと、紀元前53年にローマの将軍( C )がパルティア王に敗北した際に奪われたローマ軍の軍徽章(軍の目印)が紀元前20年になって返還された様子を表しており、過去の敗北の汚名を返上し、光り輝く治世が実現したことを象徴している。この文の空欄を埋めよ。

解答

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第1章3節 エ.ローマ帝国