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アレクサンドリア(エジプト)

アレクサンドロス大王がエジプトに建設した都市。プトレマイオス朝の首都。ヘレニズム時代に経済、文かの中心都市として繁栄した。

 エジプトのアレクサンドリアはアレクサンドロス大王が各地に建設したアレクサンドリアの中で、最も繁栄した都市。その後プトレマイオス朝エジプトの都となったアレクサンドリアは、東地中海と紅海を通じてインド洋の南海貿易を行い、巨額の富を得ていた。その富を都市建設に投じ、ヘレニズム世界の中心として文化的にも大いに繁栄し、「世界の結び目」と言われた。また「アレクサンドリアにないものは雪ばかり」という言葉もある。ローマ時代からビザンツ帝国時代を通じて地中海貿易の中心地として繁栄を続けた。

ヘレニズム文化の中心

 アレクサンドリアの港の入口のファロス島には大灯台が建設されていた(古代の七不思議の一つとされている)。また初代プトレマイオス1世はアテネなどから学者を招いて「ムセイオン」(博物館)を建設し、さらに大図書館を設けてエジプト特産のパピルス紙に多くの文献を書写させた。そのため、アレクサンドリアは特に自然科学の面でエウクレイデスエラトステネスアリスタルコスなどヘレニズム時代の多くの科学者を輩出した。

ローマ時代のアレクサンドリア

 プトレマイオス朝エジプトがローマに滅ぼされ、エジプトがローマ領となると、ローマはアレクサンドリアにエジプト総督をおいて支配した。ローマ時代にもアレクサンドリアは「地中海の学術センター」としての位置を失っておらず、天動説を体系づけたプトレマイオスや医学のガレノスらがいた。1世紀頃からはユダヤ教とキリスト教の教義研究とギリシア哲学(特にプラトン)の結びつきがアレクサンドリアで始まり、3世紀のエジプト人プロティノスが「新プラトン主義」を産みだし、ローマ帝政時代の思想に大きな影響を与えた。

キリスト教からイスラーム教へ

 キリスト教は早くからユダヤ人を通じてアレクサンドリアに広がった。アレクサンドリア教会は最初の布教の拠点の一つとなり、キリスト教の五本山の一つされた。4世紀に三位一体説のアタナシウス派を起こしたアタナシウスもアレクサンドリア教会の司教であった。ところが641年にイスラーム勢力がエジプトに侵攻し、アレクサンドリアが破壊されてしまったため一時衰えることとなった。イスラーム征服後に復興しイスラーム商人の地中海方面への商業基地として重要な地位を占め、現在もエジプト第2の都市として繁栄している。

Episode アレクサンドリアの大灯台

 「1995年11月、エジプトの地中海岸、アレクサンドリアでフランスの考古学者たちが、画期的な発掘に成功した。大きな感動を呼び起こした。感動の理由はいくつかある。まずは、この発掘が、それまでの常識である地下からの遺物のとりだしではなく、地中海の海底を舞台としていたこと。そして、ふたつめには、出現した過去の遺物が、あまりにも有名な古代の名品だったことだ。出現したのは、疑いもなく古代アレクサンドリアの灯台である。」<樺山紘一『地中海』2006 岩波新書 p.46>
 大灯台は古代の七不思議の一つにも数えられており、アレクサンドリアの沖合のファロスという島にあったとされていた。ローマ時代の地理学者ストラボンや、11世紀にこの地を訪問したアラブの地理学者イブン=シュバイルの旅行記などに記録があり、それらによると高さ150mで50マイル遠くからその光を見ることが出来、島の上には巨大なゼウス神像があって地中海の船乗りの目印になっていたという。この灯台は紀前285年頃、プトレマイオス朝のプトレマイオス1世が建造を初め、2世の時に完成したらしい。ムセイオンと並んでアレクサンドリアの繁栄を物語るものであった。
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ノートの参照
1章2節 コ.ギリシアの生活と文化
書籍案内

樺山紘一『地中海 -人と町の肖像』
2006 岩波新書