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蘇軾

北宋の政治家、文章家。旧法党の一人。

 そしょく。11世紀後半の宋(北宋)の政治家、文章家。号を蘇東坡(そとうば)という。科挙に合格した士大夫として中央政界に入り、王安石に反対して旧法党の中心人物としても知られ、新法党によって二度の流刑に処せられた。その詩文は格調が高く、古文の復興をめざし唐宋八大家の一人に数えられている。代表的な作品に『赤壁の賦』がある。 → 宋代の文化

Episode 宋代版受験パパ

 唐宋八大家のうち三人を占めるのが蘇洵とその二人の子、蘇軾と蘇轍である。彼らにはこんな話がある。
(引用)著名な文章家三人をつづけざまに出す家が、どのような名流かというと、それがちっともそうではない。(都開封から遠く離れた今の四川省の眉州という田舎町の、おそらくは中小地主であった。)蘇洵の兄の蘇渙が一族の中ではじめて科挙に及第し、任官しているが、蘇洵自身は晩学の人で、四十歳近くなって都の開封に遊学して数年を過ごし、機会を得て臨時試験、制科に応じるが、落第してすごすごと帰郷する。慶暦七年(1047)のことで、二人の息子は十二歳と九歳であった。官途への野心をくじかれた蘇洵が、息子たちに夢を託するようになったのは当然のなりゆきといえよう。それからおよそ十年後の嘉祐元年(1056)の春、蘇洵は重大な決意をもって二人の息子たちを連れて開封へと旅立つ。兄は二十一、弟は十八歳になっていた。……かくて兄弟はこの年の秋に開封府試に及第して得解(省試の受験資格を得ること)、次の年、知貢挙欧陽脩のもとに、これまた二人そろって及第したのである。(当時は解試は居住地で受験するルールであったのに、田舎を離れて開封で受験できた理由はよくわからないが)今日ふうに言えば、さしずめ越境受験ということになるだろうが、すべては父親の息子たちに賭けた夢と期待の大きさを物語っているといえよう。そして息子たちはみごとにそれに応えたのであった。<村上哲見『科挙の話』講談社学術文庫 1980 p.203-207>
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第3章3節 オ.宋代の文化
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村上哲見『科挙の話』試験制度と文人官僚 1980 講談社学術文庫