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遼東半島

渤海に突き出た大きな半島で先端に旅順・大連がある。1894年、日清戦争後の下関条約で清はこの地を日本に割譲したが、三国干渉によって日本は返還した。その後ロシアが進出、1898年に旅順・大連を租借、1904年に日露戦争が勃発、戦場となった。戦争後租借権を継承した日本は関東州を置いて支配。1945年、日本の敗戦により中国(中華民国)に返還された。

 遼東(りょうとう、リャオトン)半島は、中国の東北地方から渤海につきでた大きな半島で、その先端に旅順/大連という重要な貿易港・軍港を持ち、東北地方の内陸部とつながる重要な地域。東北地方を南西に向けて流れる遼河の東にあたる。戦国時代から漢民族が進出し、漢から三国時代には公孫氏が勢力を持っていた。一時、朝鮮から高句麗が進出したが、それを滅ぼした唐は遼州をおいて直接支配した。その後は渤海、遼、金、元が続き、漢民族の支配が遠のいたが、満州に起こった清が中国を統一したことによって、この地の漢民族との一体化も進んだ。

日本とロシアの争い

 1894年、日清戦争に勝った日本は、下関条約で清朝に遼東半島の割譲を認めさせたが、三国干渉によって清に返還した。その後はロシアの進出が強まり、1898年の一連の中国分割に際しては旅順・大連を租借した。ロシアは旅順に軍港を築き、アジア進出の拠点としたが、日本とロシアの対立がついに1904年の日露戦争となると、旅順はその最大の激戦地となった。

日本の関東州設置

 日露戦争で勝利した日本はポーツマス条約で遼東半島の租借権を引き継ぎ、遼東半島南部を関東州として支配し、それとともに1906年に設立され他南満州鉄道を防衛するために、1919年に関東軍を設置した。
 1945年、日中戦争が日本の敗戦となって終結し、遼東半島は中国(中華民国)に返還されたが、旅順・大連にはソ連軍が駐留、1949年に成立した中華人民共和国はソ連との折衝を続け、ようやく1955年に旅順・大連からソ連軍は撤退した。
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ノートの参照
第13章3節 エ.東アジア国際秩序の再編