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三国干渉

日清戦争後の1895年4月、日本に対しロシア・フランス・ドイツの三国が遼東半島の清への還付を要求したこと。日本はそれを受諾し、遼東半島を還付した。

 日清戦争に勝利した日本が、1895年、下関条約で中国から遼東半島を獲得したことに対して、ロシア・フランス・ドイツの三国が干渉し、その返還を迫ったこと。ロシア(ニコライ2世)の蔵相ウィッテが主唱して、フランスとドイツに働きかけ、日本の遼東半島の領有は極東の平和を妨げるという理由でそれを放棄するよう、下関条約調印のわずか6日後の4月23日に日本に勧告した。日本は当時の国際的な力関係から、この圧力に抗しきれず、同年11月に遼東半島還付条約を清と結んで遼東半島を清に還付し、かわりに3千万両を受けることとした。日本国内では「臥薪嘗胆」が叫ばれ、特にロシアに対する反発が強まった。

三国の状況

 ロシアニコライ2世(在位1894~1917)のもとでウィッテに主導された工業化とアジア進出を狙っており、ドイツヴィルヘルム2世(在位1888~1918)のもとでイギリスと対抗する世界政策を強め、フランス第三共和政下で右派が台頭し、ドレフュス事件が始まるころであった。ロシアはシベリア鉄道への投資などでフランスに接近し、1894年露仏同盟を結び、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟に対抗しようとしていた。ドイツは、極東でのイギリスの勢力を牽制するためにはアジアでのロシアの進出をむしろ歓迎し、ロシアがバルカンから後退することを望んだ。またヴィルヘルム2世は日本の進出を黄禍として恐れていた。

日本の状況

 伊藤博文内閣の陸奥宗光外相は、日本が中国から領土を獲得すれば、他国の干渉を招くことを予想していたが、戦勝に酔い大きな戦果を獲得すべしと言う国論の高まりを背景に、内政的観点から清国側に大きな代償を求めざるを得ないと判断した。1895年4月23日、三国干渉という形で強い圧力が加えられると、伊藤首相は広島で御前会議を召集、1.勧告の全面的拒否、2.この問題の処理を列国会議に委ねる、3.勧告を受けいれる、の三つの選択肢を検討した。御前会議は第2案に傾いたが、当時病床にあった陸奥宗光は、第2案では遼東半島還付以外に波及する怖れがあるとして、第3案を主張し、それが結論となった。政府はこの痛恨事に悲憤慷慨する国民に対し、日本はロシアと戦うには国力は微弱で、この際「臥薪嘗胆」をスローガンに、国力を培養することを訴えた。<細谷千博『日本外交の軌跡』1993 NHKブックス p.27>

三国干渉後の中国分割

 ロシア・フランス・ドイツは極東での日本の進出を危惧して結束し、三国干渉を行い、それに成功した報酬(見返り)を清に求め、租借地の獲得・鉄道敷設権の獲得などの形で、中国分割を進めることになる。イギリスはロシア・ドイツの進出に対抗して中国分割に加わった。特にロシアの進出に対しては日本と利害が一致するので、日本の軍事力の急速な膨張を警戒しながらも、1902年には日英同盟を締結することとなる。
 清朝政府の李鴻章はロシアと結んで日本の進出を抑えようとしたので三国干渉を歓迎し、遼東半島の還付を受けた。しかし、三国は清に対してその報酬を求め、ロシアは1896年に東清鉄道敷設権を獲得、さらに98年に遼東半島の南端の旅順・大連の租借権を認められた。同様にフランスは95年に安南鉄道の延長や雲南・広東などでの鉱山採掘権を獲得し、98年には広州湾の租借権を延長させ、ドイツは98年に膠州湾の租借権を獲得した。このような三国の中国侵出に対抗するため、イギリスも威海衛と九竜半島の租借を認めさせた。清が列強の租借に応じたのは、下関条約での日本への賠償金支払いの原資を得るためであった。このような日清戦争後の列強による露骨な中国分割の危機に直面し、清朝内部にもようやく変革の動きが現れ戊戌の変法が始まるが、その運動は保守派によって弾圧されてしまう。

朝鮮情勢への影響

 日本政府が三国干渉を受け入れたことは、日本がロシアに屈したと受け取られたので、両国が勢力を争っていた朝鮮王朝においても大きな影響があった。日清戦争は朝鮮内の親日派を台頭させたが、三国干渉の受諾は、親ロシア派が台頭することをもたらしたのである。親ロシア派は、王妃であった閔妃とその一派であった。ロシア公使ウェーベルは、盛んに閔妃に取り入り、通商条約の締結や鉄道敷設権・鉱山開発権などの利権を認めさせ、その一方で親日派を排除したり、日本軍人を顧問とした訓練隊を解散させるなどの手を打った。これに対して日本公使井上馨はロシア勢力の伸張を阻止するためには閔妃を除く必要があると考えるようになった。それが、次の公使となった三浦梧楼によって実行されたのが1895年の閔妃暗殺事件である。しかしそれはかえって日本の立場を悪化させ、さらにロシアとの対立はエスカレートし、日露戦争へとつながていく。
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ノートの参照
第14章3節 ア.中国分割の危機
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細谷千博
『日本外交の軌跡』
1993 NHKブックス