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国民政府の中国統一

1928年、蔣介石の国民革命軍が北伐を完了させて統一を達成した。1930年代は国共内戦、日本の侵略が本格化する。

1928年6月、蔣介石の率いる国民革命軍が北京に入城し、北伐が終わり、国民政府による全国統一が完成した。6月15日に、南京国民政府は正式に全国統一を宣言した。これによって北京の北洋軍閥以来の軍閥勢力は排除されたが、なお東北地方の実権は同年6月4日に旧奉天軍閥の張作霖が日本軍によって爆殺された後、張学良が継承していた。張学良は日本の働きかけを断り、同年末の12月29日に国民政府への帰属を声明し、一斉に国民党の青天白日旗を掲げた。この「易幟(旗を変えること)」によって、国民政府の全国統一は最終的に達成された。

関税自主権の回復

 蔣介石の南京国民政府が北伐を完成させ、中国統一を実現したことを受け、国際社会に南京国民政府を承認する動きが早まった。その結果、中国がアヘン戦争での南京条約その他による不平等条約の締結以来苦しめられていた半植民地状態から脱却することが可能となった。まずアメリカは1928年7月に、中国に対する関税自主権を回復の承認に踏み切り、次いでドイツ・フランス・イギリスなどヨーロッパの11ヵ国が国民政府との間で関税自主権を認める条約に調印した。その上で、アメリカは同年11月、南京国民政府を承認、12月にイギリス・フランスがそれに続いた。日本のみは済南事件の解決が長引いたため、ようやく1930年5月に日華関税協定を締結し、中国の関税自主権を認めた。なお、治外法権の撤廃は1943年の不平等条約の撤廃によって実現する。

統一後の国民政府

 以後は南京を首都とする「中華民国」国民政府が中国を統治することとなるが、今度は蔣介石に対して馮玉祥、閻錫山や李宋仁などの旧軍閥勢力が反発し、なおも激しい内乱(1930年の中原大戦など)が継続し、ようやく1930年末に蔣介石の独裁権力が確定した。蔣介石は続いて30年12月から、囲剿戦(いそうせん)といわれる中国共産党勢力への攻勢を開始した。国民党政府軍と共産党軍の激しい内戦が続くなか、1931年に満州事変が起こり、関東軍が満州で軍事行動を開始、日本の侵略が始まるが、蔣介石は「安内攘外」と称し、共産党との内戦を優先して抗日戦を回避する戦略をとった。
 日本に抵抗しない国民政府への不満も強まる中、1936年の西安事件で抗日民族統一戦線への素地ができ、1937年日中戦争が始まると第2次国共合作が成立して、日本軍の侵略と共に戦うこととなった。37年末、首都南京を占領されたため、国民政府は武漢、さらに重慶へと移り、抵抗を続けた。1940年3月には国民党の中で以前から蔣介石と対立していた汪兆銘が重慶を脱出、日本軍と結んで南京に独自の国民政府を樹立した。重慶国民政府はその後、1945年までアメリカ、イギリスなど連合軍の支援を受けて日本軍と戦い、1945年8月に日中戦争が終わると、中国国民党と中国共産党の協力は決裂、翌年再び国共内戦(第2次)が始まり、蔣介石国民政府はそれに敗れて台湾に移ることになる。それ以降は中華民国政府(台湾政府)という。
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ノートの参照
第15章3節 ウ.国民党と共産党