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中ソ不可侵条約

1937年8月、中国国民政府の蔣介石とソ連のスターリンの間で締結された軍事同盟。

 中華民国の国民政府とソ連邦のスターリン政権は、日本に対する共同防衛にあたることを約し、互いに第三国との軍事同盟を禁じた。この条約に基づいて、ソ連は1938年11月に重慶に移った国民政府に対し武器の援助を続けた。当時のソ連共産党は、中国共産党に対しコミンテルンを通じて指導する立場にあったが、スターリンは中国共産党単独では日本と戦えないと判断、国民党との民族統一戦線維持にこだわっていた。また満州の日本軍の北進の可能性も大きかった(1939年5月にはノモンハン事件が起こった)ので、それを抑える存在として中国国民党軍に期待していた。
 一方、スターリンは1938年に独ソ不可侵条約を締結したものの、第二次世界大戦が始まり、1941年4月ごろからドイツ軍のバルカン侵出が強まって独ソ戦を覚悟すると、南進に転換した日本と利害が一致し、日ソ中立条約を締結する。ただしソ連は中国国民党政府と不可侵条約を結んでいたので、日本とは中立を宣言するに留まった。なお、スターリンの国民党政府に期待するという対中国戦略は以後も基本的に変わらず、1945年8月14日には国民党政府との間で中ソ友好同盟条約を締結する。スターリンは中国共産党が国共内戦で勝利するとはまったく考えていなかった。 
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ノートの参照
第15章4節 ウ.満州事変・日中戦争と中国の抵抗