ヘンリ2世
イギリスのプランタジネット朝初代の王。フランスのアンジュー家の出身で母方からイングランド、ノルマンディを継承、さらに妻の継承したアキテーヌを加え、広大なアンジュー帝国を形成した。しかし晩年は領土をめぐって子たちと争い、失意の中に亡くなった。
イギリス(厳密にはイングランド王国)のプランタジネット朝初代の国王。在位1154~89年。フランスのアンジュー伯アンリは、母親がイギリスのノルマン朝ヘンリ1世の娘マティルダであったところから、ノルマン朝の断絶に伴い、王位継承を主張、内戦を収束して、1154年にイングランド王国の国王ヘンリ2世として即位した。イングランドとともにフランス国内にも広大な領地を持ち、英仏海峡をまたいで支配したが、その死後はフランス内のイングランド王領は次第に縮小される。 → イギリス
また、ノルマン朝のイギリス王と同じく、イギリス王としてはフランス王と同等であるが、同時にフランス国内の領主としてはフランス王の家臣であるという二重の関係を持った。1156年にはイングランド王ヘンリ2世は、アンジュー伯・ノルマンディー公・アキテーヌ公アンリとして、フランス国王ルイ7世に対して、封建的主従関係にあることをあらわす「臣従礼」を行っている。しかし、当時フランス王のカペー朝の直轄領はパリの周辺だけに限られており、ヘンリ2世のフランス内の領地の方が圧倒的に多いのが実態であった。
ヘンリ2世はイングランドの周辺地域への征服活動を積極的におこない、スコットランドとウェールズには宗主権を認めさせて間接的に支配し、アイルランドには1171年に自ら遠征して直接的な支配を及ぼし、王権を主張した。
またヘンリ2世はイングランド王と言いながら、実際にはフランスのアンジュー伯領で暮らすことの方が多く、在位35年のうち、イギリスで暮らしたのはわずか13年であった。ヘンリ2世が王妃エリアノールとの間にもうけた子がリチャード1世とジョン王などであったが、彼らにもフランス内の領地が継承されていく。
子どもたちに領地を分与したにもかかわらず、ヘンリ2世は実権を握り続け、1173年に5男のジョンにアンジューの一部を与えると言い出した。それに対して二男ヘンリを初めとする他の兄弟に母親のエリアノールも加わり、ヘンリ2世に反旗を翻すという事態となった。エリアノールは夫ヘンリ2世の気持ちが愛人に移っていることを知って夫を見限り、子どもたちについたのだった。この文字どおりの骨肉の争いに、フランス王フィリップ2世が介入し、リチャードはフランス王と手を結んで父を攻め、さしものヘンリ2世も1189年、フランス中部のシノン城で憤死した。
ただ、明らかに史実と違うのは、セリフが英語であること。この頃イギリス宮廷ではフランス語が話されていたはず。また舞台となったシノン城のフランスにある。登場するフランス王フィリップ2世も英語をしゃべっているのはおかしいが、イギリス映画なのでしかたがない。
なお、映画には描かれていないヘンリ2世とエリアノール(アリエノール)の長い愛と憎悪の物語は、エリアノール側から見るとさらになまなましく迫ってくる。彼女の評伝としては石井美樹子さんの『王妃エレアノール』が、前夫フランス王ルイ7世との生活、第2回十字軍への参加、トゥルバドゥールの保護者、離婚とヘンリ2世との再婚、幽閉生活などを余すところなく描いており面白い。<石井美樹子『王妃エレアノール――十二世紀ルネサンスの華』1994 朝日選書>
アンジュー帝国とフランス王への臣従
ヘンリ2世は、母から引き継いだイングランドとフランスのノルマンディーに加え、父からフランスのアンジュー伯領を相続、さらにフランスのアキテーヌ地方(ギエンヌ)の有力諸侯アキテーヌ伯の娘エリアノール(フランス王ルイ7世の妻として第2回十字軍に帯同したが、後に離婚した)と結婚し、アキテーヌ(ギエンヌ)地方を所有することとなった。つまりイギリス王ヘンリ2世はイングランドからフランスのピレネー山脈に至る、英仏海峡をまたぐ広大な領土を支配した(これをアンジュー帝国ともいう)。また、ノルマン朝のイギリス王と同じく、イギリス王としてはフランス王と同等であるが、同時にフランス国内の領主としてはフランス王の家臣であるという二重の関係を持った。1156年にはイングランド王ヘンリ2世は、アンジュー伯・ノルマンディー公・アキテーヌ公アンリとして、フランス国王ルイ7世に対して、封建的主従関係にあることをあらわす「臣従礼」を行っている。しかし、当時フランス王のカペー朝の直轄領はパリの周辺だけに限られており、ヘンリ2世のフランス内の領地の方が圧倒的に多いのが実態であった。
ヘンリ2世はイングランドの周辺地域への征服活動を積極的におこない、スコットランドとウェールズには宗主権を認めさせて間接的に支配し、アイルランドには1171年に自ら遠征して直接的な支配を及ぼし、王権を主張した。
またヘンリ2世はイングランド王と言いながら、実際にはフランスのアンジュー伯領で暮らすことの方が多く、在位35年のうち、イギリスで暮らしたのはわずか13年であった。ヘンリ2世が王妃エリアノールとの間にもうけた子がリチャード1世とジョン王などであったが、彼らにもフランス内の領地が継承されていく。
カンタベリー大司教との対立
ヘンリ2世はイングランド王として領内の境界に対する統制を強めようとして腹心のトマス=ベケットをカンタベリーー大司教に任命した。しかし、ヘンリ2世が聖職者叙任権と共に聖職者裁判権を取り上げようとしたことに対してトマス=ベケットが強く反対し、ローマ教皇との関係も悪化した。1170年、ヘンリ2世の意を汲んだ騎士がカンタベリー大聖堂でベケットを殺害する事件が起こった。ヘンリ2世は教会との関係がこれ以上悪化することを恐れ、聖職者たちの前で自ら鞭打たれることによって謝罪し、事態を収拾した。Episode 過激な王妃、エリアノールの物語
フランス王ルイ7世は親のルイ6世が決めたエリアノール(エレオノーラ、アリエノール、エレナなどとも表記)と結婚した。彼女はアキテーヌ公の娘で、フランス南西部の広大な領地を持参金として差し出した。当時ルイ7世は国王と言っても財力が無く、敬虔で素朴ではあったが貧しかった。しかし王妃のエリアノールは、故郷のアキテーヌのトゥルバドゥール(南仏の吟遊詩人)たちをなつかしがって、この夫を軽蔑し「あたしは王様じゃなくてお坊さんと結婚したのだわ」といっていた。ルイ7世は第2回十字軍に参加したとき、彼女を連れていくという過ちを犯した。国王と王妃の関係は十字軍遠征中に悪化し、王妃は一足先に送り返されてしまった。国王は離婚を決意しなければならなかった。(引用)過激な気質の女だったエリアノールはアンジュー伯アンリに恋いこがれていた。この男は牛のような頸をし、短く刈った栗色の髪をした頑丈な若者で火山のような力と人を惹きつける物腰があった。彼女は彼と結婚して、アキテーヌ公領全部を彼のもとに持参した。封建的で個人的な繋累の馬鹿げた結果はこんなものだった。女の気まぐれで帝国が分断される始末だった。<アンドレ=モロワ『フランス史』上 平岡昇・中村真一郎・山上正太郎訳 新潮文庫 p.74>
アンジュー帝国とその崩壊
ヘンリ2世とエリアノールの間には8人の子供が生まれた。三人の娘は、長女がザクセン公ハインリヒ、次女が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、三女がシチリア王国グリエルモ2世に嫁ぎ、アンジュー帝国の安定がはかられた。男子のうち長男は夭逝、二男ヘンリは15歳の1170年にイングランド王として戴冠式を行い、ノルマンディ公としてはフランス王ルイ7世に臣従を誓ってその娘を王妃として迎えた。三男リチャードは母エリアノールの実家アキテーヌが、四男ジェフリにはブルターニュ(ヘンリ2世が征服していた)が与えられた。五男のジョンには与える土地がなく、「欠地王」と言われた。子どもたちに領地を分与したにもかかわらず、ヘンリ2世は実権を握り続け、1173年に5男のジョンにアンジューの一部を与えると言い出した。それに対して二男ヘンリを初めとする他の兄弟に母親のエリアノールも加わり、ヘンリ2世に反旗を翻すという事態となった。エリアノールは夫ヘンリ2世の気持ちが愛人に移っていることを知って夫を見限り、子どもたちについたのだった。この文字どおりの骨肉の争いに、フランス王フィリップ2世が介入し、リチャードはフランス王と手を結んで父を攻め、さしものヘンリ2世も1189年、フランス中部のシノン城で憤死した。
Episode 冬のライオン
ピーター=オトゥール(ヘンリ2世)、キャサリン=ヘプバーン(エリアノール)、アンソニー=ホプキンス(リチャード)の三人がわたりあう映画が『冬のライオン』。晩年のヘンリ2世がある年のクリスマスに、ロアール川縁にある居城のシノン城に妻のエリアノールと三人の息子、リチャード(アキテーヌ伯。後のリチャード1世)、ジョフリ(ノルマンディ公)、ジョン(後の国王ジョン)を呼び寄せ、王位の継承、領地の分与を申し渡す。王の本音はジョンを後継者に指名したいが、三人の中では最も頼りない。最も武勇に優れたリチャードは自分こそが王位継承者だと信じている。エリアノールは王妃でありながら幽閉中の身で、ヘンリ2世は王妃の前で愛人にしているフランス王の姉と戯れる。そこにフランス王フィリップ2世が乗り込んでくる。実際に彼らが一堂に会したことがあるのかどうか判らないが、もともと舞台劇であったこの作品では、愛憎混じり合い、激しく言い争う6人の群像劇となっている。焦点はやがて息子たちに裏切られて、生涯の終わりを自覚するヘンリ2世に移っていく。名優たちであってもセリフ劇を見続けるのは少々つらいが、世界史上の人物と思えば、興味深く見ることができよう。1968年度、アカデミー賞受賞作。ただ、明らかに史実と違うのは、セリフが英語であること。この頃イギリス宮廷ではフランス語が話されていたはず。また舞台となったシノン城のフランスにある。登場するフランス王フィリップ2世も英語をしゃべっているのはおかしいが、イギリス映画なのでしかたがない。
なお、映画には描かれていないヘンリ2世とエリアノール(アリエノール)の長い愛と憎悪の物語は、エリアノール側から見るとさらになまなましく迫ってくる。彼女の評伝としては石井美樹子さんの『王妃エレアノール』が、前夫フランス王ルイ7世との生活、第2回十字軍への参加、トゥルバドゥールの保護者、離婚とヘンリ2世との再婚、幽閉生活などを余すところなく描いており面白い。