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青島

チンタオは中国の山東半島、広州湾に面した港市。1898年、広州湾を租借したドイツが建設した。第一次世界大戦では、参戦した日本が攻撃、1914年11月に占領した。

 日本は1914年8月23日にドイツに宣戦布告し第一次世界大戦に参戦した。参戦と同時に日本軍はドイツの権益である山東半島に5万の大軍を上陸させ、膠州湾の青島要塞などを攻撃した。9月~11月におこなわれた青島要塞をめぐる戦争(青島戦争ともいう)は、形の上では日本・イギリス連合軍とドイツ・オーストリア連合軍の、中立を宣言した中国の国土における大国間の戦争であったが、実態は日本が山東半島のドイツ権益を奪い、大陸進出の足がかりをつかむための戦争だった。11月初めに攻城戦が始まり、1914年11月7日にドイツ軍が降伏した。日本軍の砲撃と、初めて実施された空爆によって、中国人青島市民にも多数の被害が出た。翌1915年には日本は中国に対して二十一カ条の要求を袁世凱政府に突きつけた。

日本軍初めて飛行機を使う

 青島戦争では、日本は初めて飛行機を実戦で使用した。日本軍の山東半島上陸作戦は9月2日に始まり、早くも9月5日、海軍機3機が青島市街爆撃を行った。これが日本軍が飛行機を実戦に使用した最初だった。陸軍も青島派遣航空隊が飛行機5機を出動させた。海軍機、陸軍機ともモーリス・ファルマン式が主力で、主要任務は地上部隊の援護と空中偵察であった。要塞に対する爆撃は陸上の砲弾を転用したもので堅固な要塞やドイツ軍艦には歯が立たなかったが、後方の市街地への空爆は心理的に大きなダメージを与えた。<荒井信一『空爆の歴史』2008 岩波新書 p.5-7>
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