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ラホール

現在はパキスタンに属するパンジャブ地方の都市。一時、ムガル帝国の都となった。近代ではシク王国が生まれ、イギリスとの戦争の拠点となった。1929年、インドの国民会議派大会が開催された。

ラホール GoogleMap

インド史のなかでの重要都市の一つで、パンジャーブ地方の中心都市。現在はパキスタンに属し、その東部インドとの国境に近いところに位置してている。北インドからアフガニスタン方面に向かう際の交通の要衝であり、現在もパキスタンでカラチと並ぶ大都市である。そのため、中央アジアやアフガニスタンからインドに侵入したガズナ朝ゴール朝などの勢力によってたびたび支配されている。

ガズナ朝とゴール朝

 1008年にアフガニスタンからカイバル峠を越えて、パンジャーブ地方に進出したガズナ朝は、イスラーム教国であったが、12世紀からはアフガニスタンをゴール朝に奪われると、このラホールを都にパンジャーブ地方だけを支配する王朝となった。しかし、このガズナ朝の支配が北インドのイスラーム化の第一歩となった。次のゴール朝も北インドに進出、ゴール朝に仕えた奴隷出身のアイバクが1206年にデリーで建てた奴隷王朝から始まるデリー=スルタン朝の時代にインドのイスラーム化が本格化する。

ムガル帝国とシク王国

 16世紀にアフガニスタンから北インドに入ったムガル帝国もこの地を治め、全盛期のアクバルも一時ここに都を置いている。そのため、現在もムガル朝時代の建造物が多い。
 18世紀からはパンジャーブ地方に勢力を持つシク教教団の拠点となり、ランジット=シング1799年シク王国を建てた。シク王国は1845年から2次に渡ってイギリス東インド会社とのシク戦争を戦い、1849年3月に敗れて滅亡、パンジャーブ地方はイギリス支配領域に組み込まれた。

国民会議派ラホール大会

 1929年12月29日、インド国民会議派の大会がラホールで開催され、ネルーが議長となって、運動方針として「完全独立」(プールナ=スワラージ)を目標とすることを定め、イギリスとの円卓会議への不参加、翌年の1月26日を「独立の日」として「独立の誓い」を行った。これはインド独立運動の重要なステップとなった。
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