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陶片追放/オストラシズム

古代ギリシアのアテネで行われた僭主の出現を防止する制度。

陶片追放
オストラシズムで用いられた陶片
 古代ギリシアのアテネで行われた陶片追放(オストラキスモス)という追放制度もクレイステネスの改革の延長線上で創設されたものと思われる。この制度によって市民は僭主になる恐れのあるものを投票にかけ、投票数6000に達したものを10年間追放することができた。日本ではかつて、「貝殻追放」という言い方がされたが、それは誤訳。正しくは陶片追放。陶器の破片に名を書いて投票する。当時のアテネ市民が一般に文字が書けたこともわかる。また、効果のほどは疑問との考えもあるが、実際にこれによって追放された実例は12例ほど知られている(ペルシア戦争の英雄テミストクレスなど)。アテネのアゴラ博物館には陶片の実物を見ることができる。しかし、この制度はあくまで僭主の出現を防止するためのもので、罪を裁くものではない。公職者に対する弾劾裁判の制度が整備された前5世紀の後半には陶片追放は行われなくなる。<橋場弦『丘のうえの民主政』1997 東大出版会 p.122 など>

Episode プルタルコスの伝える陶片追放

 プルタルコス『英雄伝』(『対比列伝』)のアルキビアデス伝には、陶片追放についての記載がある。アルキビアデスはアテネの将軍の一人でマラトンの戦いでも活躍したが、テミストクレスと対立し、その一派の運動によって陶片追放にかけられて一時アテネを追放された。後に許されて復帰し、プラタイアの戦いでギリシアを勝利に導いた人物。
(引用)この陶片追放の制度だが、ざっといって、つぎのようなものであった。まず町衆のひとりびとりがオストラコンとよばれる陶器のかけらに追放しようと思う町のものの名まえを書き込む。そして、それを広場(アゴラ)にある手すりでまわりをかこんだ投票の場所にもっていって投げ込む。それがすむと、アルコンたちが、はじめに投票総数をかぞえる。このばあい、もし投票者があわせて六千人に達しなければ無効になる。つぎに陶片に書かれた名まえをべつべつにえりわけ、そのなかでもっとも多く票を投ぜられたものが十年間の追放に処せられる。ただし、その財産の用益権はみとめられた。さてアテナイの人々がアリスティデスを追放しようとして、陶片に名まえを書いていると、あきめくらで田舎者まるだしの男がアリスティデスをただの行きずりの人と思いこんで、陶片をわたし、”ひとつ、これにアリスティデスと書いてくれんかの”と頼んだという。これにはアリスティデスもびっくりして、”アリスティデスは、あんたに、なにかひどいことでもやったのかね”とたずねると、”いや、なんにもありゃしねえ。でえいち、おらあ、そんな男知りもしねえだが、ただ、どっこさいってもよ、『正義の人』『正義の人』って聞くもんでさあ、腹が立ってなんねいだからよ”と言った。これを聞いてアリスティデスは一言もこたえず陶片に自分の名を書くと、そのまま男にもどしたそうだ。<『プルタルコス英雄伝』上 安藤弘訳 ちくま学芸文庫 p.214>
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第1章2節 カ.民主政へのあゆみ
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プルタルコス/村川堅太郎他訳『プルタルコス英雄伝』上 ちくま学芸文庫