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アンコール=ワット

12世紀に建設されたカンボジアの大寺院建築群。アンコール朝でヒンドゥー寺院として建設されたが、12世紀には仏教寺院としても用いられた。現在世界遺産とされている。

アンコール=ワット
アンコール=ワット
 アンコール=ワット Angkor Wat は、カンボジアアンコール朝時代の文化遺産である。アンコールとは「都市」、ワットが寺を意味するので「首都の寺」となる。12世紀前半、スールヤヴァルマン2世ヒンドゥー教の寺院として建設した。中央と四隅に塔を持ち、周囲の回廊の壁面には『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の物語が細かにレリーフされており、見る人を圧倒する。12世紀末のジャヤヴァルマン7世は仏教を厚く信仰するようになり、アンコール=ワットも仏教寺院として用いられるようになった。
 なお、アンコール=ワットに隣接するアンコール=トムは、12世紀末のジャヤヴァルマン7世が建造した都市のことで「大きな都市」を意味する遺跡である。
 アンコール=ワットは東南アジアの文明を代表する遺跡であり、現在のカンボジア王国の国旗にも用いられている。1970~80年代のカンボジア内戦で荒廃し、ユネスコを中心とした保存運動が展開されている。上智大学の学長石沢良昭氏はアンコール=ワットの研究者で、その保存運動に取り組んでいる。

アンコール=ワットの建立

 カンボジア王国のアンコール朝、スールヤヴァルマン2世(1113年即位)は東のチャンパーや西のタイ方面にも遠征軍を送り征服活動をおこなった。またこのころインドのヒンドゥー教が活発な港市での交易を通じ、東南アジアに広がり、広くインド化が進んだ。スールヤヴァルマン2世も自らヒンドゥー教のヴィシュヌ神を信仰し、前王が信仰していたシヴァ神に代わって新たにヴィシュヌ神を祭る神殿を建設した。それがアンコール=ワットであった。スールヤヴァルマン2世の支配が安定した1125年ごろに着手され、完成までに30年以上を要したという。

Episode アンコール=ワットの日本人の落書き

 アンコール=ワットには、鎖国以前に訪れた日本人の落書きが一四カ所ほど残っている。その一人の「肥州の住人藤原朝臣森本右近大夫一房」は、父儀大夫の菩提を弔い、老母の後生を祈るため、はるばる数千里の海上を渡り、寛永九(1632)年正月にこの寺院に到来し、仏像四体を奉納した、と墨書している。森本右近大夫は肥前松浦家の家臣で、父儀大夫は加藤清正の家臣で朝鮮の役で武勇を馳せた人物であった。当時は徳川家康の朱印船貿易が盛んに行われ、カンボジアにもたくさんの日本町がつくられていた。日本人はこの地を「祇園精舎」と思い込んでいたようで水戸の彰考館には「祇園精舎の図」としてアンコール=ワットの図面が残されている。森本右近大夫の子孫は岡山に現存し、彼の墓も京都で見つかったが、位牌には森本左大夫となっている。彼が落書を残した1632年には日本人の海外渡航禁止令が出されており、彼も帰国後は名前を変えなければならなかったらしい。<石澤良昭『アンコール・ワット 大伽藍と文明の謎』 1996 講談社現代新書 p.193>

世界遺産 アンコール

(引用)トンレサップ湖の北にクメール王朝の旧都がほぼ200k㎡にわたり広がっている。11~15世紀にかけての栄華を今に伝える石造建造物群は、その芸術性の高さからも人類の遺産と呼ぶにふさわしいものである。時の流れと内戦によって崩壊の危機にあるアンコールは、世界遺産と同時に「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されたが、UNESCOを初め多くの国の支援により、危機遺産から解除された。<ユネスコ 世界遺産リスト 日本語解説より>
UNESCO World Heritage Convention Angkol Gallery
NHK アーカイブス クリエイティブ・ライブラリー提供
ごく短い映像ですが、アンコール寺院の大きさと人気の高さが実感できます。

アンドレ=マルロー『王道』

 第二次世界大戦後、フランスのド=ゴール政権下で文化相を務め、作家・美術史家として知られたアンドレ=マルローは、若い頃、インドシナの古代文明に興味を抱いた。1923年、友人のドイツ人ペルケンと誘い合い、古代クメール王国の王が築いたという「王の道」を探し求めてカンボジアの密林に分け入った。そこで荒廃した寺院を見つけ、美しい石像を切り出して持ち帰ろうとした。しかし、禁止された美術品の持ち出しを図ったとして警察に捕らえられ、プノンペンで裁判にかけられ有罪となった(結局は執行猶予)。釈放されてフランスに帰り、この経験を1930年に『王道』を著して出版、評判になった。このマルローの盗掘事件は、ヨーロッパ人によるアジアの文化財破壊の無数にあったうちの一つで、許されることではないが、この事件の舞台となったカンボジアの古代文化への世界の関心を高めたことも侍医実であろう。この寺院は、アンコール=トムの近くにあるバンテアイ=スレイ寺院で、現在は文化財として守られながら、静かに遺跡として残されている。また、マルローたちが探し求めた「王道」が実際にあることが最近の調査でかかってきており、クメール王国の都アンコール=トムと遠くメコン川やチャオプラヤ川流域とを結ぶ道路網があったことが判ってきた。現代のアンコール=ワット研究家石澤良昭氏は「マルローの慧眼」だとして敬服している。<石澤良昭『東南アジア多文明世界の発見』2009 興亡の世界史 講談社学術文庫 p.91>
 マルローの『王道』は探検物語、あるいは冒険談を期待して読むと骨が折れる。またアンコール=ワットも出てくるがその文学的な描写を期待すれば、それも裏切られる。むしろ、インドシナを植民地支配しているフランスの学士院が官僚的に文化財を独占していることに挑戦した好奇心の旺盛な若者の自己弁護として読むことができる。長々と吐露されるのは、人間の自由とか行動とかにたいする哲学的な考察である。そういった硬い文章を我慢して読めば、後半のジャングルでの「蛮族」(訳文のまま)の追跡から逃れる白人の逃避行の痛々しい描写がせまってくる。<アンドレ・マルロー『王道』1930 講談社文芸文庫/新潮文庫/角川文庫など。私が読んだのは世界文学全集マルロー『征服者/王道』安藤次男訳 1970 集英社刊>
 アンドレ=マルローにはこの他、1925年、五・三〇運動での広東を『征服者』、1927年の上海クーデタを『人間の条件』でそれぞれ自らの体験を通じて描いており、アジアとヨーロッパ知識人の関わりを考えさせる作品となっている。

出題

07年センター本試験 第1問B
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書籍案内

石澤良昭
『アンコール・ワット
大伽藍と文明の謎』
1996 講談社現代新書

石澤良昭
『アンコール・王たちの物語』
2005 NHKブックス

アンドレ・マルロー
渡辺淳訳
『王道』
2000 講談社文芸文庫