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ハワイ王国

1795年から続くカメハメハ王朝が統治したハワイの王国。1893年にアメリカによって倒された。

ハワイ先住民は、1795年から1810年までに初代カメハメハ王がハワイ諸島を統一して「ハワイ王国」を建設した。ハワイ王国は立憲君主政をとり、諸外国とも外交関係を持つ独立国家であった。その後、1875年頃から砂糖業が盛んになると白人入植者が増加し、彼らはアメリカへの併合を主張するようになった。1893年にはアメリカ軍艦の示威を背景にクーデターを起こして王朝を倒し、リリウオカラニ女王(アロハオエを作曲したことで知られる)を宮殿に幽閉して退位させた。時のアメリカ大統領の民主党クリーブランドは併合を認めなかったが、次のマッキンリー大統領は帝国主義政策を進め、米西戦争に際して1898年に併合を実現した。

ハワイ併合

1898年にアメリカ合衆国に併合され、1959年合衆国の州となった。

1778年、イギリスのジェームス=クックが発見。1810年、ハワイ原住民のハワイ王国が、カメハメハ王の時、ハワイ・マウイ・オアフなどの島々を統一した。19世紀中頃からアメリカの進出が顕著になり、1893年に白人入植者はクーデターでハワイ王国を倒して共和国とし、1898年にはアメリカ合衆国のマッキンリー大統領は合併条約を成立させた。1900年にアメリカの準州となり、第2次大戦後の1959年、アメリカ第50番目の州に昇格した。 → アメリカ帝国主義
(引用)ハワイは長い間、ヨーロッパ列強と日本が狙っていた。アメリカ人宣教師は19世紀初頭、すでに渡来し、アメリカ人は砂糖利権の開発に参加していた。19世紀の終わり、アメリカ人は土着の支配者の政治に不満を持つようになり、93年彼らはリリウオカラーニ女王に対し反乱をおこし、彼女に退位をせまり、共和政をうちたてた。かれらはハリスン大統領の時、アメリカとの併合を交渉し始めた。しかし民主党クリーブランド大統領は帝国主義的併合をきらい、その計画を阻止した。97年6月共和党マッキンレー大統領はアメリカ人の支配下にあるハワイ政府と二度目の併合条約を結び、その批准を待つうち、スペインとの戦争が始まった。併合推進者たちはその計画が挫折するのを恐れ、条約という形ではなく両院における合同決議という形で98年7月7日可決させ、それを待って8月12日ハワイは正式に併合された。その後1900年に准州として政府形態を与えられる。<ビーアド 『アメリカ合衆国史』P.341>
補足 アメリカがハワイを併合した際、ハワイ側から併合の要望が出されたという形となった。帝国主義列強が他国を併合する際に、このような例は1910年の日本の韓国併合がある。この場合も韓国側から併合の要請がなされたとされているが、それは日本は保護国である韓国を併合するという非難を避けるためであった。