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ギリシア人

印欧語族に属しバルカン半島から南下して現在のギリシアに定住した民族。

 古代ギリシア人は、インド=ヨーロッパ語族に属し、北方から南下して、バルカン半島の先端やエーゲ海の西岸、さらにクレタ島などの島々、つまりギリシアの地に居住するようになった。このうち、最も早く南下して、ミケーネ文明を作りだしたのが東方方言に属するアカイア人とされている。(ギリシア人のバルカン半島への南下は、かつては紀元前2000年頃とされていたが、現在では紀元前3000年紀までさかのぼると考えられている。) → ギリシア  近代のギリシア

ギリシア人の分化と拡散

 その後、現在のギリシアからエーゲ海域に拡がるうち、方言の違いによって、イオニア人アイオリス人などに分化した。これらの東方系方言を使うギリシア人に対し、西北系方言を使うドーリア人が遅くとも前11世紀ごろまでに北方から移住し、彼らが交錯する過程で都市国家(ポリス)が形成された。また、ギリシア人のポリスは、早くから東地中海に進出し、各地に植民市を形成していった。古代ギリシア人の活動範囲が、現在のギリシア本土だけでなく、小アジア西岸、さらに東地中海、黒海など広範囲な地中海世界に及んでいたことをしっかり理解しておこう。

ギリシア人の共通項

 古代ギリシアのポリス社会では、ギリシア人は自らをヘレネスと呼び、異民族を他の言葉を使う人々の意味でバルバロイと呼んだ。またそれぞれのポリスは利害が対立すれば戦い、隣保同盟を作ったが、デルフォイの神託やオリンピアの祭典はギリシア人共通の文化として一つの世界=古代ギリシア文明を作り上げた。

その後のギリシア人

 ギリシアがローマに征服されてからも、ギリシア人の持つ高度なギリシア文化は、ローマ文明に大きな役割を果たした。ローマ時代に、ギリシア商人は東地中海を中心に貿易活動を行い、ギリシア系商人の活動は、エリュトゥラー海案内記などでインド洋まで広がっていたことがわかっている。ビザンツ帝国は、「ギリシア化したローマ帝国」なのであり、ギリシア正教会は東ヨーロッパ世界の精神的支柱として長く存在した。
 1453年にビザンツ帝国が滅亡してから、ギリシアの地はオスマン帝国のトルコ人に支配されることとなり、イスラーム教とその文化が浸透し、古代ギリシアとは異なるものとなり、言語的にも変化が進んだ。その間、中世以降もギリシア人の海洋活動は活発であり、近代には海運業が盛んになって世界各地で船乗りとして活躍している。また近代に至るまで、国土が肥沃でなかったためもあって、ギリシア人移民はたいへん多く、アメリカ、オーストラリアなどにギリシャ人のコミュニティーが作られている。

参考 古代のギリシア人と現代のギリシア人

 古代のギリシア人と19世紀に成立したギリシア王国に始まる現代のギリシア国家を構成するギリシア人との関係は、意外とはっきりしない。ヘレニズム時代以降、バルカン半島には、ローマ帝国(ビザンツ帝国)、スラヴ民族の移住、イスラームの進出など、多くの民族が入ってきたので、様々な民族の同化が進み、現在のギリシア人が形成されたのであり、古代ギリシア人の子孫が現在のギリシア人であると簡単には言えない。にもかかわらず、現代のギリシア人は、自らを古代ギリシア人の子孫と強く意識している。

近代ギリシアの独立

 近代ギリシア人の民族的自覚が高まったのは、オスマン帝国の弱体化に伴って、バルカン半島のゲルマン人やスラブ系民族の独立運動が活発となり、19世紀にいわゆる東方問題が起こったことに刺激され、西ヨーロッパでのギリシア愛護主義に呼応することで活発になった。1821年にギリシア独立戦争が始まり、30年にはギリシア王国として独立した。しかし、現実と理念の食い違いは言語問題にも見られ、ギリシア語論争が起こっている。