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ギリシアをどうとらえるか

考えよう。古代ギリシアの文明は人類の模範とされた。しかし、現代との落差をどう考えたらいいのだろう。

ギリシアとは:

 私たちが「ギリシア」といっているのは、英語表記での Greece のこと。ところが現代のギリシャ人は自分の国をギリシアとも Greece とも言わない。彼らは、古代においては自らをヘラスと言ったが、これは古代ギリシア語であり、現代ギリシア語ではエラダというだそうだ。ギリシアとはローマ人が使った言葉からきており、ギリシアの言葉ではなかったのです。国名や人名の表記はむずかしいですね。こういう例は日本でたくさんあります。

古代ギリシアの概略:

 ギリシアは地中海の東部、アドリア海・エーゲ海・黒海などに囲まれ、またバルカン半島の南端部に位置する。
エーゲ文明 まずエーゲ海域が交易のルートとして早くから発展し、オリエント文明の影響を受けながらエーゲ文明が生まれた。その前半はクレタ島を中心とした海洋文明であり、クレタ文明といい、後半は本土のミケーネを中心としたミケーネ文明とされる。この文明は青銅器文明であり、ミケーネ期には線文字Bという文字も使用されていた。インドヨーロッパ語族のギリシア人はほぼ前2000年紀を通じてこの地に南下して定住し、ミケーネ王国などのいくつかの小国をつくった。
「暗黒時代」 前1200年頃、恐らくは海の民の侵攻などによってミケーネ文明は崩壊し、いわゆる暗黒時代となったが、その間に先住のイオニア人の他に北方からドーリア人が移住してギリシア民族が形成され、さらに鉄器文化への移行とともに人々は、前8世紀ごろからはまでにギリシア各地に分かれて集住し、都市国家(ポリス)が生まれた。
ポリスの形成・発展 ギリシアは平地や大河には恵まれず、山地が多いことから、大国は出現せず都市国家を発展させアテネに代表されるポリス民主政を展開させた。前5世紀前半のペルシア戦争はポリス民主政の危機であったが、重装歩兵戦法や三段櫂船を駆使して勝利し、戦後のペリクレス時代に共和政の全盛期を迎えた。
マケドニアの台頭 その後はポリス間の抗争が続いて衰退し、北方のマケドニアの台頭によって共和政時代は終わる。これらの古代のギリシア文化、あるいはギリシア文明は、アレクサンドロス時代のヘレニズムを経て地中海世界に継承されたが、ギリシアの地のその後は異文化の支配を受け、ヨーロッパとは異質なものとして展開する。またヨーロッパに古代ギリシアの文献が伝えられたのは、むしろイスラーム文化を介してであったことは重要である。

古代ギリシアは何処に行った?:

 高校での世界史の学習では、ギリシアはローマに征服されたことによって、忽然と姿を消してしまう。その土地が消えてしまったわけではないし、そこに住む人々の歴史は依然として続いたはずであるが。その後のギリシアがどうなってしまうのか、ここで簡単に見ておこう。

その後のギリシア:

 ギリシアの歴史は、大きくとらえれば古代ギリシアがポリス民主政と古典文化が繁栄した古典古代とヘレニズム時代、ローマ帝国の支配を受けた時代を経て、中世ギリシアとしてビザンツ帝国の時代へと続く。このあたりまでは、ギリシア文明の栄光が残っていたのであろうが、1453年にオスマン帝国によってビザンツ帝国が滅ぼされ、バルカン半島全体がイスラーム化が始まると、いわば古代ギリシアの栄光の要素は次第に失われ、民族意識も言語も大きく変貌していく。

西欧人の古代ギリシアへのあこがれ:

 オスマン帝国の支配力が弱くなった17世紀末から、いわゆる東方問題が起こり、キリスト教ギリシア正教徒の自立を目指す運動が始まる。そしてウィーン体制下の自由主義や民族主義が一つのはけ口として求めたのが、ギリシアの解放だった。“ギリシア愛護主義(フィルヘレニズム)”を掲げる西欧諸国の支援によって独立戦争を展開し、1830年にギリシア王国として独立してからが近代ギリシアとすることができる。

一貫した「ギリシア」は存在するか?:

 この間一貫したギリシア史としての要素があったかというと、そうは言えず、人種・言語・宗教などで全く違った時代と考えた方が正しい。言語の面では民衆の使うギリシア語(ディモティキ)は、古典時代のギリシア語とは全く違ったものになってしまっていたが、ギリシア独立運動の中で、古典ギリシア語(カサブレサ)を復興させようという気運が起き、独立後にはそのいずれを公用語とするかで議論となった。それがギリシア語論争といわれるものである。

参考 「古代ギリシア=ユートピア」史観の克服

 しかし、古代ギリシアと現代ギリシアを断絶しているという見方に対しては厳しい批判が出されている。周藤芳幸氏は、古代ギリシアを研究するならギリシアではなくオックスフォードやプリンストンに行くのが早道であることを認めながら、自らがそうしたように「古代ギリシア史と正面から向き合うためには、どこかの時点で一定の期間をギリシアで暮らし、ユートピアではない現実のギリシアに肌で接することが不可欠である」と言っている。
(引用)ホメロスの英雄たちのようなギリシア人との出会いを期待してやって来た彼らは、現実と大きなギャップにさぞ落胆したことだろう(現代を舞台にこのようなギャップをコメディに仕立てたのが、メリナ・メルクーリが主演した有名な映画『日曜はダメよ』である)。そこから生まれてきたのが、「いまのギリシア人は、古代のギリシア人とは別物である」という言説である。そして、この言説は、十九世紀に人種主義が脚光を浴びると、民族移動による混血説などの科学的な装いを通じて、正当化されていくことになる。古代ギリシアに対するユートピア史観は、このような同時代のギリシアに対する蔑視の裏返しとして発展してきたのである。<周藤芳幸『物語古代ギリシア人の歴史―ユートピア史観を問い直す』2004 光文社 p.7>

近・現代ギリシア:

 19世紀から20世紀にかけて、ロシアの汎スラヴ主義とドイツ・オーストリアの汎スラヴ主義がしのぎを削ったバルカン問題にギリシアも巻き込まれ、第一次世界大戦の後も不安定であった。第二次世界大戦後にはイギリスとソ連の駆け引きの場とされ、内戦状態となり、軍事政権が登場するなど政情は不安定が続いた。1975年に王政を廃止しギリシア共和国(ギリシアの民主化)となり、1981年にECに加盟、ヨーロッパの一員としての今後が注目されているが、隣国とのトルコとの間にエーゲ海領海問題、キプロス問題などの火種を抱えている。

ギリシア危機:

 2010年になってEU加盟のツケは、財政危機としてギリシアに降りかかってきた。いまやギリシアの危機にとどまらず、EU自体が大きな岐路に立たされている。現在、ギリシア問題は目を離せない事態となっているが、世界史の学習を超えそうなので、とりあえずここまでにしておこう。<2011年10月6日記> → 近代のギリシア
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ノートの参照
1章2節 ア.地中海世界
書籍案内

周藤芳幸
『物語古代ギリシアの歴史―ユートピア史観を問い直す』
2004 光文社新書
DVD案内

『日曜はダメよ』
主演 メリナ・メルクーリ
監督 ジュールス・ダッシン
1960 ギリシア映画

ギリシアを訪れた考古学者とギリシア人娼婦の間に繰り広げられるコメディ。主題歌は大ヒットした。監督のダッシンには『トプカピ』もある。メリナ=メルクーリはグラマー女優として名を馳せたが、後にはギリシアの文化大臣を務めている。