印刷 | 通常画面に戻る |

香港/香港島の割譲/香港占領

アヘン戦争の講和条約である1842年の南京条約によって、清がイギリスに対して香港島の割譲を認めた。

 現在の香港は香港島とその対岸の九竜半島を中心に、その周辺の島々を含む一帯であるが、イギリスが1842年に慎重から割譲されたのは香港島のみであった。それ以後、イギリスはその対岸九竜半島に租借地などの形で植民地化を進め、150年間の支配を続けた後、1997年に中国に返還された。現在は中華人民共和国の主権下にあるが、特別行政区として一国二制度が認められている。

香港島の割譲

 アヘン戦争の講和条約として1842年に締結された南京条約で香港島がイギリスに割譲されイギリスの直轄植民地となった。

九竜半島南部の割譲

 1860年の北京条約では対岸の九竜半島の南端部がイギリスに割譲された。イギリス占領直後から都市建設が始まり、アヘン貿易と中継貿易の基地として繁栄していく。

九竜半島北部の租借

 帝国主義段階にいたり、中国分割が進む中で、1898年英領以外の九竜半島(新界)とその周辺の島嶼をイギリスが99年間租借することとなり、さらに発展し「新界」が形成された。

日本軍の香港占領

 日本は満州事変で中国への進出を開始し、1937年には日中戦争に踏み切り、中国各地に占領範囲を拡大していった。中国南部の香港はイギリス植民地で会ったので、攻撃を免れていたが、1941年12月真珠湾攻撃から太平洋戦争が始まり、日本はイギリスに宣戦布告を行い、12月25日に占領した。それ以後、香港は3年5ヶ月にわたり日本の軍政下に置かれた。

香港の返還

 1945年、日本の敗戦により日本軍は撤退、再びイギリス領にもどった。その後、香港はアジアの金融や貿易の中心の一つとして繁栄し、1980年代には新興工業経済地域(NIEs)の一つとして急成長を遂げた。その間、中国本土の中華人民共和国は文化大革命の混乱がようやく収まり、鄧小平政権のもとで改革開放政策がとられ、同時に東西対立の冷却化もすすんだため、イギリスと中国間の交渉が行われ、1984年に、九竜半島租借期限の切れる1997年に全面返還することを約する香港返還協定が成立した。予定通り、1997年に中国に香港返還が実現した。返還後50年間は資本主義体制を維持し、中国の社会主義と併存させる一国家二体制がとられている。

香港民主化闘争

 2014年8月、香港特別行政区長官の選挙が行われることになったが、中国政府に批判的な人物は立候補できず、選挙とは言っても香港人の意思を示すことができないという、一国二制度の問題点が明らかになった。完全な民主的選挙制度の実現を要求して大学生がストライキに突入、市民も参加して運動が広がり、香港の都市中心部を占拠した。香港当局は学生の対話要求を拒否し、警察を動員して放水、デモ隊を解散させようとしたが、学生たちは傘を広げて抵抗し、市街占拠を続けている。この「雨傘革命」は、香港の最も根源的な変革を求めるものに深化すれば、中国本土の共産党政権にとっても大きな動揺をもたらすこととなるので、今後の進展を注視する必要がある。