印刷 | 通常画面に戻る |

政教分離法

1905年フランスで成立。信仰の自由、公教育での宗教教育の禁止などを定めた。

 フランスでは、フランス革命で国家としてカトリック教会から分離したが、ナポレオンは1801年にローマ教皇ピウス7世との間で宗教和約(コンコルダート)を結び、カトリックに戻った。しかし、19世紀を通してブルジョア共和派や社会主義者による国家の宗教からの中立を求める政教分離(セキュラリズム)の声が強くなった。第三共和政のもと、ブルジョワ共和派の急進社会党と社会主義政党のフランス社会党の台頭を背景に、1905年に政教分離法が成立し、コンコルダートは破棄され、信教の自由の保障、公共団体による宗教予算の廃止、教会財産の信徒への無償譲渡などが定められた。これによってフランスは政教分離の原則が確立し、現在に至っている。

Episode フランスでもめた私学補助金

 フランスでは1905年の政教分離法で信仰の自由が保障される一方、教会は国家の特別な保護を受けないことが定められた。第二次世界大戦後の第四共和政の下で、人民共和派(キリスト教系保守中道政党)主体の政府(プレヴァン内閣)が、すべての小学校の児童に一人あたり年間3000フラン(旧フラン)を支給するという法案を提出した。社会党は公立小学校以外の私立小学校(多くはキリスト教系)への補助は政教分離法に違反するとして反対した。議会はこの法案をめぐって対立し、最終的には成立したが、内閣は倒れることとなった。<渡辺啓貴『フランス現代史』1998 中公新書 p.53>

出題 2006年 高崎経済大学(部分)

次の文の空欄を埋めなさい。
 フランスでは、普仏戦争後に共和政体が定着するにつれ、教会は保守派(王党派)と結びつくようになった。1881年にはフェリー法が公教育の非教育性を条文に明記した。教会の政治介入を断ち切るため、フランスでは急進社会党など共和主義左派勢力によって、1905年(  ア  )法が制定された。これ以降、フランスはこの非宗教性を国家の原則に据えた。今日では、移民イスラム教徒の流入により、キリスト教社会は世俗化とは異なる方向で、新たな宗教的軋轢を抱えている。昨年フランスでは、イスラム女学生の(  イ  )着用問題に端を発した、公教育現場での宗教的記章の着用を規制する法律が、圧倒的多数の議員の賛成により成立した。しかし、社会的論争はその後も続いている。

解答

印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第14章1節 ウ.フランス
書籍案内

渡辺啓貴
『フランス現代史』
1998 中公新書