東南アジアの大陸部(インドシナ半島)
東南アジアの大部分を占めるインドシナ半島地域を大陸部という。古来、インドと中国双方の文化的影響を受けながら、ヒンドゥー教、仏教、イスラーム教が交差、幾つかの民族と王朝が興亡した。近代はタイを除き植民地化の苦難を経て現在、ミャンマー(ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムの5ヵ国に分かれる。(マレー半島は一般的には島嶼部に含まれる。)
インドシナ半島の主要河川
東南アジアの大陸部は、紅河(ホン河)、メコン川、チャオプラヤ川、エラワディ(エーヤ-ワディー)川などの大河の流域の平野部がひろがり、それらの下流域は豊かな米作地帯である。この地域の民族は、オーストロアジア語族(南アジア語族)といわれる、ベトナム人、モン人、クメール人(カンボジア人)がまず活動を始め、中部ベトナムにはオーストロネシア語族のチャム人が次いで活動した。さらに、シナ=チベット語族に属し、はじめ北方の山岳部にいたタイ語族のタイ人、ラオ人が7,8世紀に南下して定着した。またイラワディ川中流にはビルマ人が同語族の中のモン人と抗争しながら定着した。
現在の宗教の大まかな分布では、ミャンマー・タイ・カンボジア・ラオスは上座部仏教、ベトナムは大乗仏教が優勢であるが、タイの南部のマレーシアに近い地域にはイスラーム教勢力が分離独立を主張している。
インドシナという呼称
東南アジアの大陸部をインドシナ Indochina というのは、インドと中国の中間に位置するところからヨーロッパ人が名付けたもの。一般に、現在のベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーの5カ国を含むことが多いが、狭い意味ではベトナム、ラオス、カンボジアの「旧フランス領インドシナ」を指すこともある。大河流域に平野部が広がるが、ジャングルに覆われた山岳地帯も広く、地形は複雑である。そのため民族分布も複雑、多彩であり、文化的には隣接する中国文明とインド文明の双方の影響を受けている。中国文明の影響
紀元前5世紀頃から北部ベトナム地方には中国文明の影響が及び、青銅器文明であるドンソン文化が形成され、秦・漢時代からは中国王朝の直接支配を受け、唐時代頃まで続いた。港市国家の形成
1世紀頃から海岸地方には河川を利用して内陸の物品を集め、海洋を利用してインドや中国などと交易をする港市国家が発達した。1世紀末にベトナム南部に現れた扶南がその例である。同時に扶南にはインド文明の影響が見られ、インド化の第一段階が始まった。中部ベトナムに現れたチャンパーも港市国家として栄えた。インド化の進展
紀元後3世紀頃からインドの影響を強く受け、「インド化」が進んだ。宗教面では4世紀のインドのグプタ朝で栄えたヒンドゥー教文化が伝わり、7世紀に成立したクメール人のカンボジアではヒンドゥー教が信仰された。東南アジアの文字 2003年センターテストより
東南アジア大陸部のインド化の例証としてあげられるのが、現在もこの地域で使用されている文字の源流が前3世紀のインドで生まれたブラーフミー文字にあることが挙げられる。ビルマ文字(ミャンマー)、クメール文字(カンボジア)、タイ文字、ラオス文字は似通っており、やはりブラーフミー文字から変化した現在のインドのデーヴァナーガリ文字と文字規則が共通である。ただし、ベトナムは北部が中国文化圏に属していたため漢字が使用され、13世紀には漢字をもとに独自の字喃(チュノム)が考案された。
仏教の普及
大陸部ではヒンドゥー文化と仏教信仰が重層的に重なり合って独自の文明を形成していく。12世紀に建造されたカンボジアのアンコール=ワットもはじめはヒンドゥー寺院として造られたが後に仏教寺院とされた。次第に仏教(上座仏教)が優勢となり、特にビルマ、タイでは王権の保護を受けて栄えた。特にビルマのパガン朝は多くの造寺造仏を行ったことで知られる。植民地化
18世紀以降、タイをのぞいてイギリスとフランスに分割された。ビルマはイギリス=ビルマ戦争に敗れ、イギリスの植民地支配を受け、ベトナム・ラオス・カンボジアのインドシナ三国はフランスの植民地となりフランス領インドシナ連邦を構成する。その中間にあったタイ(シャム)のみが独立を維持することができたが、領土は大幅に削減されることとなった。大陸部諸国の領域
現在の国家ではベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー(ビルマ)にあたるが、以下に登場する東南アジアの歴史上の国々は必ずしも現在の国と領域が一致しない点に注意すること。カンボジアのクメール王国は一時はインドシナほぼ全域を支配し、ビルマのコンバウン朝も一時期はタイを支配した。タイのラタナコーシン朝も現在のタイよりも広大な領土を支配していた。また、ベトナムは、18世紀までは北部ベトナム(紅河流域)、中部ベトナム、南部ベトナム(メコンデルタ地帯)は別個な国家であったことに留意すること。