印刷 | 通常画面に戻る |

パレルモ

南イタリア、シチリア島の中心都市。シュタウフェン朝の都として栄え、イスラーム文明を受容する。

 シチリア島北岸の都市。もとはフェニキア人の植民市で、前5世紀にはカルタゴのシチリア島支配の中心となった。次いで、ローマ、ゲルマン人、ビザンツの支配を受け、831年にはイスラームが侵入した。1072年、ノルマンディ出身のノルマン人、ルッジェーロ1世がシチリアに進出してイスラーム教徒から奪い、その子ルッジェーロ2世の時にノルマン朝が1130年に成立するとその宮廷がおかれ、次のシュタウフェン朝でもフリードリヒ2世の宮廷として栄えた。

イスラーム文明の西欧への橋渡し

 このようにパレルモには、古代ローマ・ゲルマン・ビザンツ・イスラーム・キリスト教の文化が混在する、独特な文化が形成された。特に、12世紀のパレルモはヨーロッパにとって最も先端的な文化の発信地であり、イスラーム文化と、それを媒介としたギリシア・ヘレニズム文化がヨーロッパに伝えられる上でのイベリア半島のトレドなどと並んで重要なルートであった。ここからヨーロッパにおける12世紀ルネサンスが生まれた。
 1282年には島を支配したフランス人に対して反撃したシチリアの晩祷事件が起きている。

ガリバルディによる占領

 近代でもシチリア島を支配したスペインやフランスの統治機関がこの地におかれたが、19世紀に中ごろのイタリア統一が進む中、1860年にはガリバルディの赤シャツ隊がシチリアを占領、パレルモを市街戦を制してブルボン軍を撃退して、シチリアを解放しイタリアの統一(リソルジメント)を決定づけた。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第6章3節 コ.ドイツ・スイス・イタリア・北欧