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道教

老荘に始まる道家の思想が、民間信仰の神仙思想などとと融合し、後漢末に宗教として成立し、中国独自に展開した。

 道教(Taoism)は、儒教とともに中国固有の宗教である。その源流は、春秋戦国時代の諸子百家の一つである老子荘子道家の思想(老荘思想)を中核として、それに原始的なアニミズムから始まる神仙思想、易および陰陽五行説讖緯説などが融合した宗教と言える。とくに老子と荘子の「道」の思想(「道」は天地よりも先にあって、すべてのものを生み出す根源であり、人間の知恵を超えた、世界を支配する根本原理とする)が道教の基本理念となり、老子が道教の祖と考えられている。道教教団の初めは、2世紀半ばの後漢の張角太平道であり、後漢末の農民反乱である黄巾の乱の原動力となった。さらに後漢末の張陵などの五斗米道天師道とも言われ、四川を中心に大きな勢力となった。

北魏での保護

 道教ははじめは符呪(おふだやまじない)が中心の、不老不死(壽)、金銭的な豊かさ(禄)、家庭の幸福(福)などの現世利益を求める宗教であったが、そこに老子や荘子の「道」の道徳観や易の宇宙観を取り入れ、さらに仏教の慈悲と救済の思想を取り入れて一つの宗教体系となった。特に北魏の寇謙之の起こした新天師道太武帝によって国教とされ、保護されることによって隆盛を迎えた。道教は、その後も仏教に対抗して教団組織を発展させ、仏教の僧侶にあたるものが道士、寺院にあたるものが道観といわれ、各地につくられた。また11世紀はじめには、仏教の大蔵経にならって「老子道徳経」などの教典が「道蔵」として編纂された。

唐は道教を国教とする

 唐では道教は国教として保護の対象となっていた。その直接的な動機は唐王朝を建てた李淵・李世民親子が同じ李姓の老子を始祖とする道教を信仰したからである。しかし当初は他の宗教に対しても寛容で、同時に貴族層に盛んであった仏教も保護を受けていた。また、都長安の国際的な文化の一面として、三夷教といわれる景教(ネストリウス派キリスト教)、祅教(ゾロアスター教)、摩尼教(マニ教)も盛んだった。これらの宗教の間で協議論争が行われることもあった。しかし、仏教寺院が華美になってその保護が国家財政を圧迫するようになった武宗の時には、武宗が道教の信者であったこともあって、道教が優勢となり、会昌の廃仏が行われた。

道教の転換

 唐、宋時代を通じて国家の保護が続いたが、そのために道教の教えは次第に体制化し、民衆から離反していった。金の王重陽はそのような道教の改革にあたり、現世利益の面を弱め、禅宗の要素を取り入れて精神性を高めた全真教を起こした。一方、南宋では従来の天師道系の道教が正一教と言われて民間に行われた。元以降は教団としての道教は衰えるが民間には様々な神々をまつる民衆道教として生き残っている。<以下、道教についての記述は、村上重良『世界宗教事典』講談社学術文庫版を参照>
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第3章1節 エ.魏晋南北朝の文化