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普通選挙/男性普通選挙

普通選挙とは財産制限のない選挙制度のことで、フランス革命で1792年9月に初めて実施された。男性のみに限定されていたが19世紀に欧米諸国で一般化した。

普通選挙の要求

 政治的な主張としての普通選挙運動は、17世紀のイギリスのピューリタン革命で最左翼を形成した水平派(レヴェラーズ)が「選挙権に対するすべての制限は神の法則に反する」と主張していた。  フランスでは1789年のフランス革命の発端となった三部会が身分別の選挙で議員を選挙する方式で召集され、第三身分代表は制限選挙と複雑な間接選挙で選出された。革命の最初の成果である人権宣言で平等の原則が謳われたが、そこでは女性の権利は想定されていなかった。1791年憲法ではじめて国民の選挙による議会作られる規定となったが、その選挙は財産による制限選挙であった。

世界最初の男性普通選挙

 フランス革命の進行する中、1792年、8月10日事件が起こり、その翌日、議会で男性普通選挙が決定され、9月に実施された。これが世界で最初の普通選挙であるが、当時は当然のこととして男性だけに限定されていたのでここでは「男性普通選挙」とする。具体的には、「21歳以上・居住1年以上の男性で、貧民救助を受けず、また家僕でないものに等しく選挙権を認める」というもので、間接選挙で行われたたので、現在から見れば完全な普通選挙法とは言えないが、当時としては画期的なものであった。この男性普通選挙によって国民公会が成立した。ただし、有権者700万であったが投票率は政情不安のためか、約1割に過ぎなかった。次いで、国民公会でジャコバン派が主導して成立した1793年憲法(ジャコバン憲法)でも普通選挙制は盛り込まれたが、この憲法は施行されないままジャコバン独裁がテルミドールの反動とともに終わったので実施されなかった。

フランスの普通選挙制度

 ジャコバン派が追放された後に制定された1795年憲法(共和暦第3年憲法)では、男性普通選挙は否定され、直接税納付者のみが選挙権を有する制限選挙に戻された。復古王政下では上院の貴族院の世襲制に対し、下院の代議院が作られたがその選挙権には厳しい財産制限が付けられていた。七月王政期にフランスで産業革命が進行し、労働者階級が形成されると、普通選挙を要求する選挙法改正運動が激しくなった。それに対して首相ギゾーが、選挙権がほしければ「金持ちになりたまえ!」といったのは有名な話である。七月王政が倒された1848年の二月革命の後、第二共和政のもとで、6ヶ月以上同一市町村に居住する21歳以上のすべての男性に選挙権が与えられ、しかも直接選挙である四月普通選挙が実施された。これが本格的な男性普通選挙としては最初のものである。同年11月の第二共和政憲法でも男性普通選挙制が規定された。

イギリスの普通選挙制度の実現

 イギリスは1832年の選挙法改正(第1回)が行われたが、選挙権は10ポンド以上の年収があることなど、財産による制限が加えられ、有権者は総人口の約4.5%に過ぎなかったので、労働者の中から普通選挙を要求する運動であるチャーティスト運動が盛んになり、48年ごろまで続いた。1867年の選挙法改正(第2回)では都市労働者に、1884年の選挙法改正(第3回)では農村労働者に選挙権を拡大したが、男性普通選挙となるのは、1918年の選挙法改正(第4回)の時である。なお、この時女性にも参政権が認められたが、男性は21歳以上、女性は30歳以上であった。このような差別がなくなり、21歳以上の男女に平等な選挙権が認められたのは1928年の選挙法改正(第5回)によってであった。 → イギリスのイギリス選挙法改正 

ドイツの普通選挙制度

 ドイツは1848年の三月革命によって各邦に自由主義政府が成立して憲法の制定が約束された。また、ドイツ統一のためのフランクフルト国民議会が、ドイツ最初の普通選挙(男性)によって選出された議員によって開催された。しかし、ドイツ統一はすぐには実現せず、立憲君主政を採った統一憲法案も立ち消えとなった。その後各邦とも自由主義が後退して、オーストリアでは憲法が廃止され、プロイセン王国では1850年に保守的な欽定憲法に改訂された。このプロイセン憲法では選挙権は男性全国民に与えられ、一見普通選挙の形態を採っているが、実際には三級選挙制という、財産額によって有産者が多く議員を選出することのできる著しい不平等選挙制であった。プロイセンの宰相ビスマルクは普墺戦争の勝利でドイツ統一の主導権を握り、さらに普仏戦争の勝利によって1871年にドイツ帝国を成立させたが、その基本法であるドイツ帝国憲法では、帝国議会の議員選挙にドイツで初めて全国的な男性普通選挙を導入した。これは画期的なことであったが、帝国議会そのものに決定権がないなど、完全な議会政治とは言えないものであった。また本国のプロイセンでは第一次世界大戦の終結する1918年に廃止されるまで三級選挙制が存続していた。大戦で敗戦が必至となる中、1918年末に選挙法の改正が行われ、満20歳以上の男女による財産制限のない平等で秘密投票による完全な普通選挙制度が決められ、その選挙によって成立したワイマル議会で動揺の普通選挙を規定したヴァイマル憲法が成立した。

アメリカの普通選挙制度

 アメリカ合衆国における男子普通選挙(白人のみであるが)は、米英戦争後の1820~40年、特に第7代ジャクソンの1830年代、ジャクソニアン=デモクラシーと言われた時代に各州で実施されていった。普通選挙の広がりによって、政治への関心も高まり、1832年にはデモクラティック=リパブリカン党は民主党に改称した。南北戦争後には黒人投票権が認められたが、19世紀末から選挙登録にあたって読み書き能力テストや投票税が導入されたため、黒人の選挙登録が激減した。一方、同じく19世紀末からアメリカに大量に押しよせてきた移民に対しては、読み書きが出来なくとも選挙権が与えられた。 → 黒人差別

各国の普通選挙実施状況

:その他の各国での男性普通選挙の実現は次のような時期である。1874年=スイス、1890年=スペイン、1893年=ベルギー、1896年=ノルウェー、1907年=オーストリア、1918年=イタリア。日本は1925年に普通選挙法が成立(25歳以上の男子に選挙権)し、1928年に第1回普通選挙が実施された。 → 男女平等選挙権(女性参政権)

日本の男子普通選挙法

 日本では、第一次世界大戦後の、大正デモクラシーといわれた時代、1925(大正14)年、加藤高明内閣の時に成立した。このときは25歳以上の男性に選挙権が与えられ、財産による制限はなくなったので、男性普通選挙制度が実現したといえる。これは大正期を通じて展開された普通選挙運動の積み重ねがあったからであり大正デモクラシーの最後の成果であった。しかし、普通選挙によって労働者階級が議会に進出することが想定されたので、資本家層を基盤とする政府・官僚は同時に治安維持法を成立させ、革命的な運動を取り締まる方策も同時に採られたのだった。昭和に改元されるとすぐに金融恐慌が起こり、政党政治の腐敗という面が強まると、国家主義・軍国主義への傾斜がはじまった。
 1928(昭和3)年、日本軍の山東出兵が行われている間に、2月の日本最初の男子普通選挙が実施され、政友会・民政党の従来のブルジョワ政党以外に、いわゆる無産政党から8名の当選者が出た。警戒を強めた田中義一内閣は治安維持法を適用し、3月15日に地下の共産党員ら約千人を「国体」に危害を加える危険集団として逮捕した。それ以後、軍国主義体制が強化され、日本の政党政治は事実上中断される。