第2章 アジア・アメリカの古代文明
4節 南北アメリカ文明
Text p.79
ア.アメリカ先住民
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アメリカ大陸:ベーリング海峡が地続きだった時期にa モンゴロイド 系の人々が北アメリカ大陸に移動。
→ 約1万年前には南アメリカ大陸南端まで達した。
16世紀以降、ヨーロッパからb インディオ、インディアン と言われるようになる。
→ 約1万年前には南アメリカ大陸南端まで達した。
16世紀以降、ヨーロッパからb インディオ、インディアン と言われるようになる。
・補足:南北アメリカ大陸への人類の移動
更新世末期、何度かの氷河期に海水面が下がりベーリング海峡がつながった時期があった。この地峡をわたり、東シベリアから狩猟民が波状的に北アメリカ大陸に移動した。彼らは約1万年前には南アメリカ大陸南端まで達した。
○コロンブス以前のアメリカ文明の概略:
・北アメリカでは、狩猟・採集を中心とした文化が続く。
前1000年頃から東部の森林周辺でc トウモロコシ 栽培などが始まる。
・中央アメリカ・南アメリカでは紀元前2000年紀から農耕文明が発展する。
メキシコ高原~中央アメリカでは▲d メソアメリカ文明 と総称される文明が発展。
南アメリカ大陸のアンデス高地では▲e アンデス文明 と総称される文明が発展。
→ ユーラシア大陸の文明とは交流がなく、独自の農耕を発達させ、都市文明が成立した。
・アメリカ大陸原産の作物:
c トウモロコシ ・f サツマイモ ・g ジャガイモ ・h トマト など。
→ 大航海時代にヨーロッパに伝えられ、さらに世界各地に広がる。
・北アメリカでは、狩猟・採集を中心とした文化が続く。
前1000年頃から東部の森林周辺でc トウモロコシ 栽培などが始まる。
・中央アメリカ・南アメリカでは紀元前2000年紀から農耕文明が発展する。
メキシコ高原~中央アメリカでは▲d メソアメリカ文明 と総称される文明が発展。
南アメリカ大陸のアンデス高地では▲e アンデス文明 と総称される文明が発展。
→ ユーラシア大陸の文明とは交流がなく、独自の農耕を発達させ、都市文明が成立した。
・アメリカ大陸原産の作物:
c トウモロコシ ・f サツマイモ ・g ジャガイモ ・h トマト など。
→ 大航海時代にヨーロッパに伝えられ、さらに世界各地に広がる。
・補足: アメリカ大陸での農耕文明の開始
完新世の前6500年ごろ、中央アメリカ(メソアメリカという。現在のメキシコ)と南アメリカの中央アンデスで原始的な農耕が始まった。両地域とも、紀元前2000年紀の中ごろ(前1500年ごろ)までに乾燥気候に適したトウモロコシを中心とした農耕文明を形成させた。
アメリカ大陸の古代文明
A アステカ文明
B マヤ文明
C インカ文明
主な遺跡
1 テオティワカン
2 テノチティトラン
3 チチェン=イッツァ
4 チャンチャン
5 チャビン
6 マチュ=ピチュ
7 クスコ
8 ナスカ
9 ポトシ銀山
イ.マヤ・アステカ文明とインカ文明
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(1)メキシコ湾岸に形成された文明
A オルメカ文明 など
紀元前1000年頃、メキシコ湾岸に石造の大神殿をもつ都市文明が成立。
巨大人面彫刻などが特徴。
→ 周辺の諸文明(マヤとティオティワカン)に影響を与える。
巨大人面彫刻などが特徴。
→ 周辺の諸文明(マヤとティオティワカン)に影響を与える。
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Text p.80
B マヤ文明 4世紀~10世紀
中央アメリカのユカタン半島を中心に、都市国家を形成。
特色 神殿・ピラミッドを建築(チチェン=イツァ)などを持つ高度な都市文明。 20進法を用い、天体観測を行い、精密な暦法(マヤ暦)を発達させた。 a マヤ文字 (絵文字)の使用。(右図) → 10世紀 メキシコ高原からトルテカの勢力が及び、衰退。 ▲その後、小国に分かれて存続。 → 16世紀からスペイン人の侵攻を受けるが、17世紀末まで抵抗続ける。 |
a マヤ文字 |
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(2)中央アメリカ・メキシコ高原の文明
A テオティワカン文明
前2世紀 メキシコ中央高原に生まれる。
a 太陽のピラミッド などの巨大な石造神殿を建設。 ・補足:
a 太陽のピラミッド などの巨大な石造神殿を建設。 ・補足:
テオティワカンはメキシコ市北東約20kmの海抜2200mにあり、太陽と月のピラミッドという二つの巨大な建造物を中心とした都市遺跡である。太陽のピラミッドは高さ65 m、底辺222 m×225 m、月のピラミッドは高さ47 m、底辺140 m×150 m、この両者を結ぶ死者の大通りは長さ4 km、幅45 mに及ぶ。テオティワカンとは「神々の場所」の意味で、神聖な宗教都市でもあったらしい。4~7世紀の最盛期にはその規模から考えて約20万の人口を抱える、当時の世界有数の都市でもあった。その滅亡の事情は明らかではないが、次のトルテカ文明とアステカ王国でも聖地として祀られていた。<右図はテオティワカンの全景 増田義郎『太陽と月の神殿 古代アメリカ文明の発見』中公文庫 p.116 より>
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B トルテカ文明
・6世紀頃からa テオティワカン文明 を継承して、メキシコ高原に成立。
→ 10世紀頃からユカタン半島に進出し、b マヤ文明 を征服する。
▲12世紀頃 メキシコ北部からのチチメカ人の南下始まる。
→ 10世紀頃からユカタン半島に進出し、b マヤ文明 を征服する。
▲12世紀頃 メキシコ北部からのチチメカ人の南下始まる。
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C アステカ文明 チチメカ人の中の一派が有力となる。
14世紀にa アステカ王国 が成立する。
→ 都b テノチティトラン を建設(現在のメキシコシティ)。 → 補足:
神権政治を行い、絵文字、彩文土器。大ピラミッド型の神殿を持つ。
▲メキシコ高原の湖沼地帯ではチナンパ農法による生産が行われた。
→ 15世紀まで栄え、1521年 スペイン人に征服される。
→ 都b テノチティトラン を建設(現在のメキシコシティ)。 → 補足:
神権政治を行い、絵文字、彩文土器。大ピラミッド型の神殿を持つ。
▲メキシコ高原の湖沼地帯ではチナンパ農法による生産が行われた。
→ 15世紀まで栄え、1521年 スペイン人に征服される。
テノチティトランは古代メキシコのアステカ王国の都。テスココ湖の湖上に築かれた湖上都市で、14世紀に建設され、16世紀には人口20~30万におよんだ。1521年、スペインのコルテスによって王宮は破壊され、その上に新たなメキシコ市が建設された。テスココ湖は17世紀から廃す工事が行われ、現在は北東部にわずかに残るだけになっている。テノチティトランの上に建設された現在のメキシコ市では、ビル建築や地下鉄工事でよく遺跡が発見されるという。<右図は1524年、コルテスがスペイン王カルロス1世に宛てた報告書簡の一部。島の上にある王宮から周囲の陸地に道路が何本も延びている。平凡社『ラテン・アメリカを知る事典』 p.429 より>
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(3)アンデス地域の文明
A チャビン文化
前1000年頃、アンデス山地のペルー北部に成立。石造建築の神殿、土器、金属器の使用。
その後、アンデス地域にアンデス文明と総称されるいくつかの都市文明が成立。
その後、アンデス地域にアンデス文明と総称されるいくつかの都市文明が成立。
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B 補足:紀元前後から15世紀までのアンデス世界の経緯
・海岸部には1~8世紀にモチカ文化(土器が特色)、ナスカ文化(織物と地上絵)が栄える。
・中央アンデスでは、8世紀にティアワナコ・ワリ文化の都市文明が広がる。
・11世紀には海岸部にチムー帝国が繁栄、金属工芸が発達しインカ文明にも影響を与えた。
・中央アンデスでは、8世紀にティアワナコ・ワリ文化の都市文明が広がる。
・11世紀には海岸部にチムー帝国が繁栄、金属工芸が発達しインカ文明にも影響を与えた。
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C インカ文明 15世紀後半 アンデス高原南部からケチュア族が興る。
a インカ帝国 の形成。都クスコ。エクアドルからペルー、チリにかけて支配。
国王(インカ)は「太陽の化身」とされ、神権政治を行う。 金、銀、青銅器の金属工芸が発達。アンデス山中の高地に都市b マチュピチュ を建設。 ・文明の特徴: 巨大な石造建築、潅漑農業技術を持つ。c キープ による記録(右図)。太陽崇拝など。 ★インディオの文明に無いもの:d 牛・馬・羊・鉄器・車輪・火薬など
→ ▲1530年ごろ王位継承争いから分裂。1533年、スペインによって征服される。 |
c キープ |
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16世紀にアステカ王国、インカ帝国ともにスペインによって征服され、滅亡。第9章1節を参照。