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アメリカの政党政治(二大政党制)

アメリカ合衆国では当初は政党の存在は明確ではなかったが、連邦派・反連邦派(後の共和派)などを経て、南北戦争の前後頃から民主党と共和党の二大政党制が形成され、現在にいたっている。はじめ民主党は黒人奴隷制支持、自由貿易、州権主義、共和党は奴隷制拡大反対、保護貿易、連邦主義という明確な対立軸があったが、その主張と支持基盤は20世紀に入って大きく変化し、1970年代以降から現在には、民主党がリベラル、共和党が保守という二極化している。

 アメリカ合衆国では南北戦争の前に、奴隷制をめぐる意見の違いなどから、共和党民主党の二つの全国政党が対抗し、アメリカ合衆国憲法のもとでアメリカ連邦議会での論争を行い、そのいずれかからアメリカ大統領が選出されるという、二大政党制が行われた。 → アメリカの政党系統図

アメリカの政党の特色

 イギリス議会制度が発展する過程で、17世紀にトーリホィッグという政党が形成され、まずイギリスで二大政党制が展開された。このイギリスに始まる政党政治は近代国家に共通する政治形態として一般化している。独立革命によって最初から共和国家として成立したアメリカ合衆国においても政党政治が行われているが、それは他の近代国家における政党とはかなり異なっており、その特色を理解することは現代のアメリカの政治を正しく捉える上でも不可欠なこととなっている。
 アメリカの政党政治は現在、巨大化した二大政党―民主党と共和党―によって担われているが、その特色はどのようなことであろうか。アメリカの政党の特色については次のようなまとめがある。
  1. 民主党も共和党も、それぞれが州を始めとする地域単位の政党組織の連合体であり、、単一の組織とは言いがたい。
  2. 各地の政党組織も、連邦議会レベルの政党組織にしても、その指導部(執行部)が強制力を伴う指示を出せないことの方が多い。議員には党議に拘束される原則はない。
  3. 党員と非党員の境目ははっきりしない。党員であるための明確なルールは存在しない。
 アメリカの二大政党はこのような特色を持ち、他国の政党に比べて、きわめてまとまりの弱い、柔構造をもっている組織である。組織としての一体性を欠いている反面、二大政党は連邦議会だけでなく、地方議会、さらに行政機関や司法機関に深く根を下ろしている。<岡山裕『アメリカの政党政治』2020 中公新書 はしがき>

アメリカの政党政治の概要

 1776年から始まる建国期から、約2世紀半を経た現代まで、アメリカでは徐々に政党政治を実現させていった。建国期の政治指導者たちは、むしろ政党や党派一般を嫌悪していたが、憲法制定会議の過程で否応なく連邦派反連邦派という二派の違いが明確になった。それぞれを連邦党、反連邦党という場合もあるが、この段階ではいずれも政党を称していたわけではないので、連邦派・反連邦派とするのが一般的である。1789年の連邦議会開設以降、18世紀中は連邦派が優勢であったが、ジェファソンらの反連邦派は徐々に共和派(リパブリカン党)としてのまとまりを持つようになり、1800年を境に共和派政権が続く。しかし、合衆国領土が広がるに伴い、従来の東部富裕層の主導権に反発勢力も現れ、共和派も分裂、ジャクソン大統領の時に政権を支持し民主化を進めようとする民主党と、ジャクソンの専制的な政治姿勢を批判するホイッグ党(イギリスのホイッグ党にあやかった党名)が形成され、二大政党の原型が形成された。19世紀後半は黒人奴隷制問題が最も明確な対立軸として、奴隷制維持を主張する民主党と奴隷制拡張反対を唱える共和党という二大政党の対立が始まった。この民主党・共和党の二大政党は、それぞれの主張や支持基盤を変化させながら、現代まで続くことになる。この間、党名は継承されていくが、この両党の対立軸は大きく変化させていく。それぞれの掲げる政策、さらには理念、その支持基盤でさえ真逆と言えるほどの変化を遂げていくので注意を要する。またこの間、第三党が生まれなかったわけではなく、時に第三党が政局のカギを握ることもあったが、事実上、アメリカ合衆国大統領の選出ルールが二大政党以外から候補を出せない仕組みになってゆき、現在まで二大政党の枠組みは崩されていない。

参考 政党政治の歴史的発展段階

 近刊の岡山裕『アメリカの政党政治』(2020 中公新書)では、アメリカの政党政治の展開を次の6期に分け、それぞれ時期と主要政党、対立軸を示し、また歴史的転換点となった出来事も指摘している。
・第1次 1789~1828年  連邦派・共和派が連邦政府の役割をめぐり対立した時期。憲法制定会議でアメリカ合衆国憲法草案を作成する過程で連邦政府の役割を重視したのが連邦派(フェデラリスト)。それに対して、州の自治を重視することを主張したのが共和派(リパブリカン)であった。1789年に連邦政府が発足し初代ワシントン大統領は党派の対立を憂慮していたが、二代アダムスは連邦派の立場に立った。アンチ=フェデラリスト(反連邦派)のジェファソンリパブリカン党(共和派)を結成、1800年の選挙で政権を握ると連邦派の衰退は明白になった(1800年の革命)。しかし、ジェファソンはルイジアナの買収の頃から路線を転換し、合衆国を大国にする方向に向かう。さらに1812年に始まる米英戦争で国家意識(ナショナリズム)が高まった。積極的な西部開拓は多くのインディアンの犠牲の下ですすめられた。その後、モンロー大統領など共和派政権が続き、連邦派は急速に衰退した。
注意 連邦派・共和派を、連邦党・共和党(後の共和党とは別)とすることもあるが、この段階では正式には「政党 party 」とは言えず、むしろ両派の指導者も「党派」であることは慎重に避けていた。第一次政党政治といっても正確には政党ではなく、連邦「派」・共和「派」とする。
・第2次 1828~1856年  民主党・ホイッグ党が、ジャクソン政権を支持するかどうかを対立軸として争った時期。1829年3月に就任したジャクソン大統領は、従来の東部エリート主体とした政権運営ではなく、西部農民などにも政治参加を促し、ジャクソン民主主義といわれた。ジャクソンを支持する人々は民主党を結成し、それに対してジャクソンの政治手法を独裁的だとして批判する人々はホイッグ党を結成した。この両派はともに共和派の系統から生まれたもので、この頃から明確な政党としての活動を開始し、実質的な二大政党時代が始まった。民主党・ホイッグ党の政策に大きな違いはないものの、二大政党が競い合うことが健全な政党政治である、という理念が形成された。しかし、この頃から北部の工業化と南部の綿花プランテーションという産業基盤の違いが明確になり、さらに西部開拓がすすむとともに黒人奴隷制度が深刻な対立点となっていった。
・第3次 1856~1896年  民主党と共和党が、黒人奴隷制の拡大を認めるかどうかで対立した時期。民主党は南部農園主を支持基盤として黒人奴隷制維持拡大、自由貿易制度を主張したのに対し、共和党が北部産業資本家を基盤に黒人奴隷制拡大に反対、保護貿易を主張して結成された。1860年11月の選挙で共和党のリンカンが当選したことで、両者の対立はついに1861年4月、南北戦争に突入した。1863年リンカンが奴隷解放宣言を発し、65年に北軍の勝利で戦争は終わった。1877年に南部諸州の「再建」が終わると、次第に南部の民主党の勢力が復活した。1870年代から19世紀末までは合衆国の領土はひろがる一方で、黒人奴隷制問題がなくなったため、共和党・民主党の政策的違いはなくなり、全国的な資本主義の発展とともに成長した財閥が政治に介入して腐敗が進んだことから、「金ぴか時代」と言われる。
・第4次 1896~1932年  民主党と共和党が、産業資本主義への態度の違いを明確にした時期。1896年の大統領選で共和党マッキンリーが民主党を破る。第三党として1892年に生まれた人民党は衰退。これ以来、共和党は東西領海岸の都市部、民主党は南部と西部の内陸の農村部を基盤とするようになり、西部開拓が終わって都市人口が農村人口より多くなったことで共和党優位が始まる。共和党の優位は次のセオドア=ローズヴェルト大統領に続くが、彼は資本主義の独占進行による矛盾を解消するため革新主義をとなえ、財閥の解体などを断交する一方、マッキンリーの帝国主義的膨張外交を展開する。1912年の選挙では革新党を結成して二大政党に挑んだが、民主党ウィルソン大統領の当選となった。ウィルソンは第一次世界大戦の国際協調外交を指導したが、しかし国内保守派は伝統的な孤立主義を守ることを主張した。大戦間の1920年代、復活した共和党政権の下で自由放任経済政策がとられ、未曾有の経済発展を実現したが、一方で移民の増加が新たな問題点となっていった。1929年、世界恐慌が起こると共和党政権はその対応に失敗、1932年に民主党に政権を奪還された。
・第5次 1932~1968年頃  民主党と共和党が、ニューディール政策をどう評価するかで異なった時期。1933~38年、民主党F=ローズヴェルト大統領がニューディール政策を推進。それは従来の自由放任の経済ではなく、政府が積極的に介入し、雇用や社会保障の充実で経済を再建しようとするものであった。共和党は政府の過度な経済への介入を批判したが、第二次世界大戦の勃発によって党派対立は背景に退き、F=ローズヴェルト政権が長期政権となり、戦争を勝利に導く。戦後は共和党もニューディール批判を控えるようになる。冷たい戦争の深刻化はマッカーシズムという反共主義の流行をもたらし、民主・共和の両党を脅かす。また50年代から新たな課題として黒人公民権運動への対応が浮上した。民主党ケネディと次のジョンソン政権は公民権法を実現させ、戦後政治の一定の課題克服に成功したが、一方でベトナム戦争という大きな外交上の失敗を招き、共和党ニクソン政権に交替した。
・第6次 1968年頃~現在  民主党と共和党の二極分化、イデオロギー対立が顕著になった時期。それまで民主主義や社会的進歩という理念では大きな違いがなかった民主党と共和党であったが、この時期からリベラルの民主党と保守の共和党というイデオロギー的な「二極分化」が明確となる。特に1981年からの共和党レーガンは、ニューディール的「大きな政府」を批判して、「小さな政府」を主張、その一方でソ連への敵対的姿勢、宗教右派との親密化などが顕著となり、その姿勢はブッシュ親子に継承された。それに対してクリントン、オバマら民主党政権は社会保障の重視、国際協調(非核政策、環境政策も含め)、社会の多様性の容認など、いわゆるリベラル姿勢が明確になっていった。<岡山裕『アメリカの政党政治』2020 中公新書 などによる>

アメリカの政党系統図

アメリカ政党系統図

ビアード『アメリカ政党史』その他により作成

アメリカの第三政党

 アメリカ史では南北戦争を境として、アンテベラム(戦前)期とポストベラム(戦後)に区分する。ポストペラム期を、作家のマーク=トウェインは財界が富を追求し、政策的に大差ない共和党・民主党の二大政党が腐敗して党利に走る風潮が強まったことから、『金メッキ時代(金ぴか時代)』と呼んだ。この時期は二大政党が拮抗したと並んで、活発な第三党の活動が観られたのも特徴である。特に共和党は奴隷制廃止を成し遂げた後に新たな革新に乗り出さなかったため、飽き足らない改革志向の人々が、第三政党を次々と立ち上げた。酒類の製造と販売の禁止を目指す「禁酒党」、八時間労働など労働者の待遇改善を目指す「労働改革党」、農作物の輸送コスト軽減のための鉄道運賃の規制を掲げた「反独占党」、農民組織から生まれ、借金に苦しむ農民を救うために通貨量を増やすことをかかげた「グリーンバック党」(グリーンバックとは南北戦争期に発行された不換紙幣で裏面が偽造防止のため特殊な緑一色に印刷されていた)などである。これらの第三党は地方選挙では一部で勝てても、大統領選挙では候補者を立てられず、その存在はかすんでいくか、二大政党のいずれかに吸収されていった。
 これ以降、アメリカ合衆国で生まれた主な第三政党には次のようなものがある。
  • 人民党(ポピュリスト党) 人民党 People's Party (Populist Party とも言う)は1880年結成の農民連合を基盤に、1892年に労働運動や禁酒運動などの様々な改革運動を糾合して全国政党化した。政財界のエリートから政権を取り戻すことをかかげ「人民党」と名乗った。銀を金と並ぶ正貨として通貨の発行量を増やすことを主張、1893年の恐慌で民主党が責任を問われた代わりに人民党が支持を拡げた。人民党はエリート層ではない農民や労働者を支持基盤とし、不況による負債に苦しみ、鉄道の普及などの技術発展の恩恵を受けることができない不満をくみ取ることで一定の勢力を持つようになった。しかし、1896年の大統領選挙では、人民党の多くは同様の主張を掲げた民主党候補のブライアンを支持したことで分裂し、結局、共和党のマッキンリーに敗れたことによって衰退し、20世紀には消滅した。人民党は二大政党を脅かした最初の第三政党として重要であり、エリート層ではない大衆の政治参加の道を開いたことに意義があり、その運動はポピュリズムとも言われる20世紀の他の国々に観られる現象の先駆となるものだった。
  • 革新党(進歩党) Progressive Party 19世紀末から第一次世界大戦までの時期のアメリカに興った革新主義から生まれた政党。自然科学・社会科学の成長を背景に政治を既成の政治家や既得権をもつエリートに任せず、合理的・科学的な知見から改革を行おうという気風が興った。革新主義を実際に取り入れたのはセオドア=ローズヴェルトであり、彼は共和党員であったが革新派の主張を取り入れ、特に反トラスト法の適用による財閥の抑制などを実行した。2期を終えて退任した後、1912年の大統領選で革新党を立ち上げその候補となった。しかし、対抗する民主党も革新主義者のウィルソンを擁立、共和党と革新党は支持層が分裂したため、民主党ウィルソンが勝利した。革新党は次第にその独自性を失い、衰退した。なおその後も革新党を名乗る政党が、1924年と1948年の大統領選挙に際して、二大政党とは異なる独自の政策を掲げて結成されたが、いずれも大統領選挙に敗れて消滅した。
  • アメリカ社会党 アメリカ社会党(SPA)は、1901年、労働運動、社会主義者に革新主義者の一部も加わり結成された。指導者ユージン=デブスは1912年の大統領選挙に三度目の出馬を行い、一般投票で6%を獲得、第三政党の一つとして注目された。ミルウォーキーでは人気が高く、1910年には下院議員を1名当選させている。デブスはマルクス主義に学び社会主義者として運動を指導したが、労働組合との提携による社会変革よりは議会制度の枠内での労働者や農民の待遇改善に力を入れ、自ら大統領選挙に出続けた。アメリカではすでに男性普通選挙が実現していたため、労働者も二大政党に取り込まれてしまっていたことが、アメリカでの社会主義政党の人気が広がらない理由と考えられている。また第一次世界大戦が起きると、ヨーロッパの社会主義政党の多くが祖国防衛のためと称して戦争賛成に転じたのに対して、アメリカ社会党は徹底して戦争反対を掲げた。アメリカが参戦に転じると国民は社会党を愛国心が無いと非難し、その党勢を拡大することは困難だった。また1917年のロシア革命で権力をにぎったボリシェヴィキのレーニンがコミンテルンを結成すると、それを受け入れるかどうかで党は分裂、親ボリシェヴィキ派は共産党を結成した。また1920年代の移民制限法も社会党の支持基盤であった移民労働者が減ったことで党勢は衰え、1929年の世界恐慌で再浮上の機会が訪れたが、その後の民主党ローズヴェルトのニューディール政策政策が社会主義的な労働者救済策をとったことで支持者が民主党に流れた。戦後は党勢を回復できないまま、1973年に分裂し、事実上消滅した。<杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社新書 p.102-112>
  • アメリカ共産党 1919年にアメリカ社会党から分裂し、世界的な共産党運動をアメリカで開始した。マルクス主義に基づく共産主義運動を展開したが、労働組合運動に浸透することはなく、20年代になると好景気が続いたこともあって労働者の解放を掲げる共産党への支持は広がらなかった。それに加えて20年代には政府による共産党員・労働運動指導者への激しい弾圧が加えられ1万人ほどが逮捕され、移民を中心に数千人が国外通報になった。それでも共産党は1924年、28年の大統領選挙では独自候補を立てたが、党員数はわずか結成当時6万だったものが7千人に激減していた。1929年に世界恐慌が起こり、資本主義の矛盾が表面化すると、知識人の中に共産党支持も現れ、1932年の大統領選挙では独自候補フォスターが10万票を獲得し、失業者が増加したことを背景に党員数も6万5千人に回復した。ところが、1939年の独ソ不可侵条約でソ連のスターリンがドイツの独裁者ヒトラーと手を結んだことによってコミンテルンの指導した国際共産主義運動が信頼を失い、多くの党員・知識人シンパも離れていった。第二次世界大戦が始まり、1941年アメリカが参戦すると、ソ連と同盟しナチズムと戦うこととなったので共産党は息を吹く返し、党員数も7万5千に拡大した。しかし、政府は共産党に対する警戒を弛めず、1940年に成立していた外国人登録法を共産党員に適用して党指導者を逮捕するなど弾圧を強めた。戦後になって冷戦期になると、共産主義を危険視する論調が強まり、共和党下院議員ニクソンを委員長とする下院非米活動委員会やFBIによる共産党員摘発が続いた。朝鮮戦争を機に反共運動はさらに高まり、1951年から共和党上院議員マッカーシーによる「赤狩り」マッカーシズム旋風が脅威を振るった。マッカーシズムは1954年に沈静化したが、同年に共産主義者取締法が制定され、共産党は非公然とされたため、その後の活動は困難になっている。<杉田米行『同上書』p.112-115>
  • リバタリアン党 現在のアメリカには民主党・共和党以外にも多くの政党が存在している。その中で、注目すべき第三政党としてリバタリアン党がある。リバタリアンとは、文字どおり個人の自由・権利を最大限尊重すべきであるという主張で「自由至上主義」などとも訳される。あらゆる国家権力による制限に反対することを主張する思想であり、人間は極力「自己責任」で活動すべきであるという主張をベースに、社会的には社会保障制度の否定、政治的にはアナーキズム、経済では新自由主義(市場経済万能主義)に近い。1971年にリバタリアン党を結成、政治綱領は「小さい政府」(国家機構・財政の縮小、国民負担の徹底的な軽減など)を中心的な主張として掲げ、大統領選挙で独自候補を立てるようになった。2016年11月の大統領選挙で、共和党トランプ、民主党ヒラリー=クリントンにははるかに及ばなかったものの、一般投票で489万票を獲得、第3位(得票率3.28%)(数字はwikipediaによる)となって注目された。「小さな政府」という主張は共和党とも共通し、一方では個人の自由や人権を重視する思想(社会的寛容)は民主党リベラルとも共通していおり、それぞれの一部の有権者に食い込んだものと思われる。リバタリアン党の内部には極端な無政府主義や、外交上の孤立主義の徹底などの主張も含んでいるため、共和党・民主党のいずれの主流からも異端視されている。しかし、若い年代層の中に、二大政党への不信感、従来の右翼・左翼という図式に収まらない発想、などが広がっていることも、リバタリアンの存在が注目される背景がありそうだ。<渡辺靖『リバタリアニズム―アメリカを揺るがす自由至上主義』2019 中公新書>
<2022/10/21記>
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書籍案内

C.A.ビアード/斎藤眞・有賀貞訳
『アメリカ政党史』
kindle版 UP選書

岡山裕
『アメリカの政党政治』
2020 中公新書

和田光弘
『植民地から建国へ』
シリーズアメリカ合衆国史①
2019 岩波新書

貴堂嘉之
『南北朝の時代』
シリーズアメリカ合衆国史②
2019 岩波新書

中野耕太郎
『20世紀アメリカの夢』
シリーズアメリカ合衆国史③
2019 岩波新書

古矢旬
『グローバル時代のアメリカ』
シリーズアメリカ合衆国史④
2020 岩波新書

渡辺靖
『リバタリアニズム―アメリカを揺るがす自由至上主義』
2019 中公新書